2006年3月12日日曜日

北村 薫「空飛ぶ馬」(創元推理文庫)

落語家の円紫師匠と、ヒロインの女子大生の「私」が様々な事件に会い、解決していく過程の中で「私」が成長していく姿も見せていくシリーズの第1作。

この「空飛ぶ馬」でじゃ大学の1年生の頃、円紫師匠と出会うところから始まる。

収録は、「織部の霊」「砂糖合戦」「胡桃の中の小鳥」「赤頭巾」「空飛ぶ馬」の五篇。

まず、「織部の霊」

このシリーズの初作であろう。主人公と円紫(正式には"春桜亭円紫"という。)が出会う話。出会うといってもロマンチィックなものではない。「私」の恩師と一緒に大学の雑誌の「卒業生と語る」のシリーズ対談の聞き手になる、というもの。ありそうで、あまりない出会いなのだが、これをきっかけに円紫師匠をホームズ役にして「私」のまわりでおきる謎(それは大きな事件であったり、ささいな不思議であったりするのだが)をという解いていく、という連作シリーズが始まるのである。

このシリーズの特徴として、それぞれの話に、落語とか文学の話、歴史上の出来事などが、散りばめられ、それが話の味を深くするとともに、謎を解くヒントともなっているのだが、「織部の霊」では、「私」の恩師の子供の頃、叔父の家に泊まると怖い夢ー割腹して座っている烏帽子と素襖姿の男ーを見るが、その男が、叔父が秘蔵していて、子供の目にふれるはずのない巻物に描かれている古田織部正にそっくりであった。「織部正」の名すら知らない小学生が、なぜその姿を見、しかも腹を切った(切らされた)ことを知っていたのかという謎である。
恩師の叔父のことを語るゆったりとした語り口と、謎解きをする円紫師匠の穏やかな口調がのどやかで、ゆったりと謎解きを楽しませてくれる。

「砂糖合戦」は7月末、「私」が円紫師匠と入った喫茶店での事件。キーになるのはシェイクスピアのマクベス。マクベスでも本当の主人公ではなくて、三人の魔女のほう。
「私」の近くに陣取っていた二十歳前後の女の子三人が、紅茶に競って砂糖をいれている。一人でスプーンに7、8杯ぐらいいれただろうか。そしてあまりうまくなさそうに紅茶を飲んでいるが、何故・・・といった話。
意趣返し、特に女の子がかくれてやる復讐は、ちょっと暗いなー、という印象。若い女の子を叱る時は注意、注意・・・。そういえば、職場のお茶くみという言葉が、まだ死後でない頃、気に入らない上司のお茶には、ゴミを混ぜてやる、といったいやがらせを聞いたようことがあるような、ないような・・・

三作目の「胡桃の中の小鳥」は、8月。同級生の「正ちゃん」(この娘は正月生まれの「しょう」ちゃん、という設定)と江美ちゃん(この娘は、2番目の本の時に学生結婚しちゃうんだよね)との東北へのドライブ旅行中の事件。
蔵王の駐車場で、「私」たちの乗った車からシートカバーがそっくり盗られてしまう。このカバー、市販品のよくあるもので高価ではないし、シートカバー以外のものは、そっくり車内に残されている。誰が、何の目的でそんなことを・・・といったもの。
物語の中で語られる話は、落語の「百人坊主」(「大山詣り」(「おおやま」ですよ。「だいせん」ではないですよ。)ともいう。大山まいりの途中で宿で暴れて、罰として丸坊主にされた「熊さん」が、仕返しに長屋のおかみさんたちを騙して坊主頭にしてしまう話)。この坊主頭を後ろから見たら、誰の頭かわからない、といったところが、シートカバー泥棒の目的のよう。
事件の真相は、「捨て子」なのだが、殺しがないので、救われる。

四作目は「赤頭巾」。10月のお話である。「私」の近くの公園では、日曜の夜の9時きっかりに、公園のキリンの前に必ず赤いものを身につけた女の子が立つ。時間にしたら30秒そこそこぐらい立ち尽くして、あとは溶けたみたいに消えてしまう、という怪談めいた話。
話の中の話は、表題どおり、「赤頭巾」。赤頭巾とオオカミは女と男の隠喩という説がある。オオカミは、なぜ森で最初に出会ったときに、赤頭巾を食べてしまわなかったのか、というのもちょっと不思議。
謎解きのヒントは、「赤頭巾は三人いる」という円紫師匠の言葉。この話、「私」が幼い頃から憧れていたような風情のある女性が登場するのだが、謎解き前と後では、この女性へのこちらの印象ががらっと変わってしまうのが恐ろしい。
「不倫」は今では、ちょっとありきたりの話になってしまっているが、子供をダシにしちゃいけない。ちょっと読み口が苦いな。

最後の「空飛ぶ馬」は12月。クリスマス前後のお話。
近くの幼稚園に木馬(木でできた馬じゃなくて、百円いれたら前後上下に動くあれのこわれたもの)が、地元の商店からプレゼントされたのだが、その木馬が、クリスマス会の真夜中には姿を消していて、朝になると戻ってきていた、というもの。話の中の話は「三味線栗毛」。酒井雅楽守の三男が家を継ぐまでの苦労のお話。
木馬の送り主の「かど屋」の若主人は、結婚が遅れていて、やっと相手が見つかったようなのだが、恋のためには、木馬も空を飛ばせます、といったところか。
前の「赤頭巾」の後だけに、読み口は温かい。円紫師匠が最後の方でつぶやく「-どうです。人間というのも捨てたものじゃないでしょう」という言葉が、ほんのりと滲みるようだ。

この本は、北村薫のデビュー作らしいのだが、達者なストーリーは流石である。「私」と「円紫師匠」の穏やかなおしゃべりに誘われて、うかうかと最後まで、読ませられてしまう名品である。

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