2006年3月13日月曜日

北村 薫「夜の蝉」(創元推理文庫)

女子大学生の「私」と「円紫師匠」のお話の2冊目。
収録は、「朧夜の底」「六月の花嫁」「夜の蝉」の三作。

「朧夜の底」の舞台は3月。「私」の友人の高岡正子(「正ちゃん」だ)がバイトしている神田の大きな書店の国文学のコーナーで、7、8冊の本の向きが逆に並べてあるのにでくわす。
途中に、「私」が、ちょっといいな、と思う男子学生を正ちゃんの企みで、妙に変な名前で呼び続けていたといったエピソードや「私」の姉と正ちゃんと江美ちゃんが偶然出くわし、姉がとんでもない美人であることに驚愕されたりといったエピソードをはさむが、謎の中心は、その後二度も、その書店の国文のコーナーで1列、本の上下が逆さまにされていたり、箱と中身が入れ替えられている(おまけにスリップまでも)ところに出くわすことである。

話のリードは、落語の落ちの一つ「仕込みオチ」
枕の方で、オチの伏線になる説明をそれとなくしておいて、オチを訊いた途端「なるほど」と思わせるものである。この本屋のいたずらも、何か目的が秘められた「仕込み」が隠されているようだ。最後の方の円紫師匠の謎解きで、その「仕込み」は、どうも知識は自分の前にはタダで提供されるものだ、という傲慢な自尊心が隠されていることが明らかになるのである。

「花盗人」もやはり「泥棒」には違いない。

次の「六月の花嫁」は、1年半前、友人の江美ちゃんと同じサークルの先輩たち、江美ちゃんの同級生(「峰ゆかり」という名のいかにもお嬢様といった娘。ただ、この話の主役ではない)が、別荘の水を停めるという名目で、小旅行をしたときの話である。
お昼に別荘の二階で「江美ちゃん」と先輩の「吉村さん」がチェスをした後、夕食後、再度チェスをしようとすると白のクィーンが消えている。ところが、それが冷蔵庫の中から見つかる、と思ったら、今度は卵が消える。そして卵が風呂の脱衣場でみつかると、今度は鏡がない、といた順々めぐりの消失事件がおきて、なんのことだか、寝る前に江美ちゃんが、こっそり私に謝る、といった面妖なもの。
この面妖な謎を、円紫師匠が解くのだが、まあ、タネを明かせば、他愛のない、江美ちゃんが結婚に至るまでのラブストーリーを垣間見るお話。

最後の「夜の蝉」は、「私」と「私の姉」の姉妹の縁固めの話。
「私」のお姉さんは、どうも座っているだけで人目をひく、あるいは、街を歩いていては、振り向く人が必ず出るぐらいの美人らしい。(私は伊東美咲さんを思い浮かべて読みました。皆さんもお好みにあわせてどうぞ。ちなみに、「私」のイメージは石原さとみさんに設定しています)
その「姉」が本気でつきあっていた会社の男性との仲が新入社員の女の子の登場でうまくいかなくなった事件ー「姉」が会社の封筒を使って、その彼氏に、接待の余りもので頂いた歌舞伎の券を送るが、なんと、当日その席には彼氏ではなく、件の新入社員が座っている。新入社員のところへは彼氏の名前で券が送られてきており、「姉」がタチの悪い悪戯をしたと思われ、彼氏との仲は冷めてしまうーの真相を探っていくところから始まり、失意の「姉」と旅行にでかけ、姉妹のつながりを再認識する、というお話。
「姉」と彼氏ををめぐる一連の事件は、友人といっても恋愛ごとになると信用できないよ、といったことと可愛い子ぶりっこしている娘の怖さ、底意地の悪さ、といったところがキーになるのだが、この話の主眼は「私」と「姉」が姉妹になっていった時の話、いいかえれば「姉」が「姉」になった時の思い出話だろう。
「姉妹」になっていった、といっても実の姉妹だから、血統や籍の話ではなく、意識としていつ、なぜ「姉」は「姉」になっていったのか、ということ。

よく考えれば、「妹」や「弟」は生れ落ちたところから「妹」や「弟」であることが大半なのだが、「姉」や「兄」はそうではない。生まれてから1年以上経った後に、はじめて(これは本人が希望するかどうかにかかわらず)「姉」や「兄」にされてしまう。
その「されてしまう」状態を受け入れ、「姉」や「兄」になっていく、「妹」や「弟」を保護してやる存在として認識していく、納得していく過程の話には、長男で「兄」である私も、うーむとうなってしまう。きっと「妹」や「弟」である人にはわからないだろうなー、と「私」の「姉」に妙な親近感をもってしまう。

たしかに「おねえちゃん」あるいは「おにいちゃん」と弟妹から呼ばれる時、なにかしら責任感もセットで感じてしまうなーと実感してしまうのである。

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