あっさりとはして夏向きなのだが、ちょっと物足りない。
で、食べるときには、醤油を垂らすのが必須。
刺身は、鰯、鯛、鯵の混合。どれも二切れづつぐらい。
今日も暑い日が続いているが、こんな日こそ、庭の水遣りがかかせない。
ということで、夏休みに入った娘と分担。
ついでに、草ひき(特に牛殺しというつる草がとんでもなくはえているので、それを抜くのが一大事)。
汗ダラダラの一日でした。
日本の人口最少県である鳥取県に住まう、リタイア生活の途上人の田舎の日常のあれこれ。「辺境」には地理的、意識的の二つの側面があり、 あくまで『”中心”ではない』と宣言中。このサイトは、本編「辺境駐在員の備忘録」の過去ログ+私的な記録+補遺なのであしからず
五年ほど前からだろうか。僕は仕事で出向くたびの日々のなかに、ぽっかりと空いた一日をつくることを試みることにした。僕の仕事はカメラマンと同行することが多い。彼らには悪いが、旅の最後の一日は自分の旅にあてようとした。・・・ようやく手に入れた秘密の一日ー。そんなときはまず、バス停か市内電車の駅に向かう。いままで乗ったことのない路線を選び、知らない町まで行ってみる。あてもなくひとつの角を曲がり、あの先にはなにがあるだろう・・・と進んでいく。僕は旅先ではよく歩くほうだが、二、三時間もするとさすがに疲れる。休みがてらにそば屋に入り、隣でおじさんが食べている麺を指さしてみる。夕暮れ時なら一杯のビールだろうか。もう少し時間がとれれば、一泊二日の旅に出ることにしている。先日もバンコクの仕事が終わり、翌日の飛行機でラオスのビエンチャンに出かけた。明日はバンコクに戻り、その翌日には東京に戻っているのだが、それまでの時間、アジアに身を任せることができれば、僕は少しだけアジアの空気を体に吹き込ませることができた。そんな旅を何回か続けているうちに、僕自身への旅は、日本で働く人々にとっては、「アジアの週末旅」になることに気がついた。
南極での労働が彼らの体に少しでもカロリーを摂取するように要求したのか、普通の隊員で二杯、調子の良い人で三杯、「麺類命!」を自称する江尻隊長に至っては、三玉オーバーを毎食要求してきた。
次にトライしたのは、すり身。それも「海老しんじょ」だとか「クネル」だとか、お上品なやつではなく、味噌・長ネギ・片栗粉でガッチリと揚げるすり身天ぷらかまぼこにこだわった。普通の料理人は、やすい材料を少しでも付加価値を出すべく、包丁を入れたり、煮たり、焼いたり、飾り付けをしたり、盛りつけるものだが、この時はいかに「伊勢海老」から、そのお上品なムードを無くしてしまうかが重要な課題だった。そして結果は大好評となった。山盛りにした「すり身団子」はみるみる減り、完食された。
そしてこんな環境の中では,自然に速やかに体を温めてくれる料理が主役となってくる。ただし余った汁を捨てるなんて暴挙をするはずがなく、残った汁を次々と新しい鍋に変えていった。これが今でも多分観測隊で愛用されているであろう究極のリサイクル鍋「二泊三日鍋」の始まりである。
発電機が設置されている機械棟の隅っこにつくられていた食糧庫は、常時気温がプラス20°C以上湿度数%で、乾ききった室内は、乾物といえども数%を残しているであろう水分をますますカラカラに乾燥させ、ほとんどミイラ状態にして
観測隊では、このボンヤリした状態のときは個人が何かの世界にポカリと入り込んでいる時で、この時無理に話かけたりすると、心のバランスが微妙にくずれ、後々決して良いことはないので、放心状態もしくは視線を宙に飛ばしている隊員がいても、話しかけるのはやめるようにみたいなこと