2006年4月9日日曜日

岸本葉子 「やっぱり、ひとりが楽でいい!?」

ひさびさに岸本葉子さんのエッセイを読む。リサイクルショップで岸本葉子さんの本を2、3冊買い込んだのでまとめて読んでいる。なにかしら私には、固め食い、というか、気に入ると同じ作者の本をまとめて読む性向があるのだが、この作者のものも、その傾向に近くなっている。

書かれたのは1994年で、今から13年ぐらい前のエッセーなのだが、実は作者と同じ様な年代(管理人の方が若干年上ですが)ののため、私の30年代の記録を重ね合わせるように読んでいるのだろう。

章立ては

「ひとりでも退屈しない」
「こんな、私も、結婚したい・・・」
「自分で自分がわからない」
「私はいつでもマイペース」
「こだわってはみたものの・・・」
「見栄も外聞も捨てたい・・・」
「私にも楽しいことはある」

の7章立てで、乱暴に総括すると「独身女性の、やっぱり一人暮しになっちゃうんなよね」ということか。
途中の「結婚したい願望」をめぐる話とかテレクラにかけてみた話とか、ちょっとこの人の性向からすると無理して体験したりしているよなー、と思うものもあるのだが、それなりに時代を反映していて面白い。

なにせ、この人、人混みというか人づきあいが苦手らしい。本好きの内気っぽい人によくあるような、一人でいても苦にならない、何時間でも喋らなくても大丈夫、といった人らしく、熱っぽい人や世間とは何か波長があわないのである。
エッセイの原稿を渡した後は、まず家に籠るための準備を始めるし、「結婚したい」といいながら、律義に毎日同じ時間に電話をかけてくる男性にまともにつきあってへとへとになるし、喫茶店で原稿書きをしていて馴染になりそうになると寄り付けなくなるし・・・、といった感じなのだが、ちょっとパワーが落ち気味の時とか、進む方向にちょっと迷って風読みをしているときは、なにかしっくりくるのが不思議だ。

どうも風読みをしている時の、あたりを窺う精神状態というのが、この人のちょっと引いた風情にシンクロしてくるのだろう。読んでいて、なんとなく、なだめられるような気がして、ホッとするのである。華やかな感じはしないが、ちょっとそばに置いておきたいエッセイである。

ついでに、途中の梶井基次郎の写真を見て、イメージが崩れたっていうところがあって、これ私もかなり強度に同感。文庫本とかに載っている写真はいくら事実といってもよくないよな、「檸檬」のイメージガタガタだものな。
「ゴリラも詩を語る」と、いった不遜な言葉を思い付いてしまった管理人でありました。
(あ、申しそえますが、岸本葉子さんは、非常に上品な、美しいお顔の写真が掲載されています。)

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