2006年4月26日水曜日

会社と個人の間にあるもの

nikkei BP の「上海時報」の2006.4.26付けのコラムでこんな記事(「娘のご飯をつくりに、会社にくるお母さん」)を見つけた。
趣旨は、
中国社会では、いったん仕事を与えられると、それは自分の領域内の問題と認識され、仕事に絡む場所や道具、職務上の権限といったものは自分の支配下に入るという感覚が強いように思える。個人は会社の一部なのではなく、まず自分個人があって、その個人が仕事を会社から請け負ったという感覚に近い
ということで
ある日本人駐在員が外出先からオフィスに戻ってみたら、傍らのデスクで見知らぬ女性が働いている。驚いて「あなたは誰か」と聞いたら、部下の男性のガールフレンドだという。「この仕事は私の方が得意なので手伝っている」とニコニコしている。悪気はなさそうなのだが、やはりまずいので丁重にお引き取りいただいた。
といったエピソードや
また別の中国人経営者の話。ある日、昼時になって食事をどうしようかと考えていると、社内の給湯室のようなスペースで誰か料理を作っている人がいる。何者かと思って尋ねたら、ある女性社員の母親だった。
 「娘にいいものを食べさせてやりたいので食事を作っている。社長さんも一緒にどうか」とあっけらかんとしている。この経営者は「過保護にもほどがある。怒るというより呆れてしまった」と嘆いていた。
といったエピソードが紹介されていた。
中国社会の「仕事」「ビジネス」についての感覚は、このコラムに書いてあるとおりなんだろうが、それ以前に、中国のビジネス現場をめぐる奇妙な話としても、可笑しい。
きっと、この娘さんは、彼氏のために一所懸命尽くす一心だろうし、このお母さんも娘の身体を心配する一心での所業だろう。それが、もう、一点集中的に、守衛やら会社の他の社員の怪訝な目線も、なんのその、とばかり会社の中に入り込んでいったのだろう。
でも、日本でも、ここまではないにしろ、息子の仕事について会社に電話してくる母親とか、同じようなエピソードは聞くよね。
会社と個人の間に、グレーなもやもやがあるのは、程度の差こそあれ、アジア系の社会には、ありがちなことなのねー、妙な実感を覚えたのでした。

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