2005年11月13日日曜日

宮嶋茂樹「儂は舞い上がった アフガン従軍記(下)」(祥伝社黄金文庫)

偉大なカメラマン 宮嶋茂樹のアフガン戦記。

下巻では、アフガン、ジャポルサラジ入りしてから、アフガニスタン脱出、そして再入国さて、アフガンのファイザバードを出発し、ジャポルサラジを目指す。

崖から、取材隊ごと転落して、機材一式を失ったポーランド人のクリスと共同通信の記者も同行である。途中、ソビエト連邦のアフガン侵攻の時に、大量に打ち捨てられた戦車の墓場(といっても、中に人が住み着いていたり、キャタピラを塀代わりにしたり。戦車にとっては墓場だが、それなりに有効利用されている。)も通り過ぎる。

文庫の表紙にも使われている砲塔に腰掛けている少女の笑いが明るい。

ジャポルサラジで入国許可とプレスカードをもらい、共同通信の支局のある建物(どうもビルといえない状態なので)の地下室に同居する。
ここが取材の拠点となる。
共同通信の先に現地入りしている記者と出会い、カップヌードルを差し入れする場面が印象的。シーフードかカレーかしょう油かで迷い、できあがるまでの3分間、無言で待ち続ける男たち。
カップラーメンを啜っている場面の写真もあるが、みな至福のひと時のような顔をしている。(日清は日本人を確実に変えたのだ)

このビルを拠点に、取材である。同居のイギリス人の取材隊とシャワーの水の分量でもめたり、司令官の昼食に招かれてゆっくりしているうちに、町ではタリバンが攻撃をしかけて修羅場が展開されてスクープを逃したり、果ては、どこからか酒を手に入れて、決死の酒盛りをしたり(こんなことをしているから金がなくなるんだ、と筆者も感じてはいるらしい)、とまあ、結構華々しき取材活動を続けるうち、やっぱり金切れ、本国帰還である。

ところが帰還しようにも、すんなり帰れるわけではないのが、戦地である。
タジキスタンへ帰るヘリを待って、また延々と待ち続ける時間が始まる。

ところが、行きの待てど暮らせどアフガン入りできない事態に比べると短期間で、アフガンから脱出できる。筆者もツキが回ってきたのかなー、と思ったら、なんと帰国途中でカブール陥落。またスクープチャンスを逃してしまう筆者であった。

最後のあたりは、カブール陥落後の再度のアフガン入り。タリバン政権崩壊後、学校へ正式に通えるようになったアフガニスタン女性の輝くような目に出会ったり、タリバンに破壊されたジャイプールの仏像遺跡を訪ねたり・・・。私と同世代なのだが、宮嶋カメラマンの活力には頭が下がる。これからも時代のエポックメイキングの時には、この人がカメラを抱えて現場にいるんだろうなー

0 件のコメント:

コメントを投稿