2005年11月20日日曜日

小林紀晴 「アジアン・ジャパニーズ2」(新潮文庫)

初めてヴェトナムに行き、ハノイで日本人学校で教える女性に出会い、1年半後、再び東京で再開する。

その間の旅である。場所は「パリ」。


インドのカルカッタで下痢に襲われ、自分のまわりにまとわりつくようなアジアから逃れたくて、アジアから最も遠いところへと逃れていくのがきっかけである。
距離としての遠さではなく、アジアの対極としての「パリ」である。

旅行記を読んでいて、思うのが、アジアとヨーロッパを旅する人の違いである。
それは旅をする人が違うという意味ではなく、同じ人が旅しても、何か読んだ感触が違うのである。
感覚的にいえば、アジアの旅行記は、ちょっと埃っぽい日向水のような感じを受けるに対して、ヨーロッパ、特にパリの旅行記は、早朝の冷気で冷えたミネラルウウォーターの感じである。これは同じ西欧でも南欧やアメリカとも違う、西ヨーロッパの旅行記で受ける印象である。

これは、この本でも同様である。パリで元気に生きている日本人も多く登場するのだが、
なぜか、「緊張感」が漂うし、筆者の文体もなにか「緊張」している。

こうした、どうにもヨーロッパというものにシンクロできない、なにかしら違和を抱いてしまう感じは私だけだろうか。ま、私のことはさておき、アジアン・ジャパニーズの1巻と同じように、パリで暮らし、パリで一旗あげようとしている人たちのインタビューが続けられる。そして、それに疲れたかのように、筆者は、またアジアに帰る。

アジアの対極へ行き、再びアジアへ舞い戻る話である。「なつかしきわが故郷」といったところか

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