2005年11月22日火曜日

小林紀晴 「アジアン・ジャパニーズ 3」(新潮文庫)

アジアン・ジャパニーズのシリーズの最終章である。

日本からアジアへ、アジアからヨーロッパへ、そしてまたアジアへと振れてきた筆者の旅も、台湾から、沖縄へ向かい、沖縄から島伝いに鹿児島へ向かう旅で、日本への回帰を迎える。途中、筆者の故郷、諏訪の御柱祭の記事もはさみ、アジアから琉球弧をへて、原日本へ戻っていく旅であるかのようだ。

沖縄で出会う人々も、本土から移り住んだか、あるいは旅をしている途上の人たちが多い。
いずれも本土、東京のアンチテーゼとして、沖縄いやオキナワが抽象化されている。
沖縄は、本土以上の不景気の時だから、移り住んだ人々にも定職といった定職のない人が多い。竹富島に移住してきたカメラマンの
「まず、店がないでしょ。家も他のまわりの人たちを見ても、どうやって生活しているのかよくわからない。農業をやっているわりに、別に出荷しているわけじゃないし、というのを見ると、こういうのでも生活できるんだと」
という発言が象徴的だ。

そして、日本とアジア、東京と沖縄を対比する概念として提出されるのが「山と海」である。

「海の人間は、いろんなことを忘れちゃうから。いろんなものを海に流すから。でも山の人間は違うでしょ。根っこを掘るから。」

 海には何の痕跡も残らない。山には陸には、古い時代の痕跡ばかりが何重にも残る。

筆者は、すべてを流してしまう海の中で古い時代の人間の痕跡を残す陸ー島ーをよりどころに本土へと向かう。途中には、高校になったらほとんどが那覇か鹿児島へでてしまう宮古島や染物や琉球ガラス、いや沖縄の風土そのものに惹かれ、若者が吹き溜まってくる那覇の街、読談村、名護。今は訪れる人のほとんどない輿論島。

宮古で、島の老人の言葉がなぜか重い。
「子供は、あまり出来がよくない方がいいさ。
 出来がよすぎると、子供というのは必ず親の元から離れていくさあ・・。

 そうして本当に離れていくさあ。それは親不孝さ。」


一方で途中、途中に挿入される、諏訪の御柱祭。古来から続き、戦争を超えて今も綿々と続く山の祭り。筆者は、7年おきの繰り返される祭での父親の姿を回想し、今年の祭りでも父親の姿を捜し求める。


そして、名護の先、本部港から、鹿児島へ向かう航路で、この旅も終わる。最後に筆者のアジア、パリ、アジア、そして本土へとつながっていった旅の回答はこれだろうか


   「山と海、どちらが好きですか。」

    好きとか嫌いということではない。ここにあるということでしかない。

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