2005年11月20日日曜日

蔵前仁一 「いつも旅のことばかり考えていた」(幻冬社文庫)

おなじみ旅行作家、蔵前仁一の、世界各国旅のこぼれっ放しのネタ集みたいな本。
こうした旅本といえばアジアネタが多いのだが、アジアに限らずアメリカ、アフリカなんでもこい的に盛りだくさんである。

「長距離バスの問題」「カルカッタの無賃乗車」「テヘランからのおくりもの」「屋根の上で子羊は鳴く」「いつも旅のことばかり考えていた」の5章からなる旅本

始めからの4章は、筆者が旅して遭遇した、ちょっと面白い経験、かわった経験。スパイスの連続だから、気を張らないで読もう。

例えば

機内物品をくすねる乗客がいれば、(航空会社が違う)ばらばらの機内食の食器を出す航空会社や係官の住居と兼用のネパールの入国管理のオフィス。

プルトップをつないだネックレスをうるニューヨークの露天商や現金よりもTシャツや靴下といった物品の方が値打ちがあるドゴンの土産物売り
(もっともアンティークなものは、とっくに西洋人が持ち出しているらしいが)

昨日まで物売りだった人が、売る物がなくなると物乞いにあっという間に変身したり、瓶によって詰められた水の高さの違うミネラルウォーターなど、未知と驚異の大国インド

ラマダン(断食月)に旅行中、食べ物を食べて何もいわれなかったが、タバコをすうと近くで吸わないでくれと、エラク怒られた話とかイスラムでは女性を人前に出すのを嫌うため、普段の買い物も男性がすることが多いらしいイスラムの国々
(タバコの話は、納得。私も禁煙したての頃は、近くの煙がやけに気になったからなー)

南アフリカのトランスカイ共和国で、世界どこでも行けるのだと日本のパスポートをうらやましがられたり(トランスカイ共和国は、認知する国がほとんどないため、南アフリカ近辺にしか通用しなかったらしい)

といった話が満載である。

最終章「いつも旅のことばかり考えていた」では、バックパッカーや長旅、長旅にでるために、いわゆる定職というものを放棄した旅人、「旅」そのものについて筆者の思いが語られる。


「人はなかなか長い旅に出られない。なぜ長旅にでられる人と出られない人がいるのか」という質問に対して筆者は、

「いったん社会人になった人が、会社を辞めて数年に及ぶ長期旅行に出たら、再び会社の出生競争に首を突っ込むことは不可能だろう。で、不安になる。自分の「安定した幸せな社会生活」は再び取り戻せないのではないかと心配になり、そしてなかなか旅には出られない。

とりあえず不安を振り払って旅に出てしまった人は、もうそのようなことでいちいち悩まなくなる。もう、悩んでもしょうがないということもあるが、何が自分の悩みだったのか、それ自体が問題となってくるからだ。
 旅を終えて日本に帰ってくる。・・・それで、その後不安でいっぱいで、幸せな社会生活が営めないのかというと、これが案外そうともいえないのである。
 というのは、「幸せな社会生活」とは何か、という内容が変わってしまうことがあるからだ。」

と答え、

「本当の旅とはなにか」という問いには

「旅に決まったかたちなどありはしないのだ。われわれの人生に、かくあらねばならないというかたちや目的があるだろうか?人の役にたつ人生があればそれもよいし、人を感動させられる人生があればそれもよい。だけど、そんなことができない人に人生がないのかといえば、やっぱりある。人はそれでも生き、生活する。旅だってそうだと僕は思う。

だが、何かのためにならなかやいけないという考え方を押し付けるのはもうやめてくれないか。自分のために旅をしています。自分が楽しいから旅をしていますとしか僕にはいいようがない。」

と答える。ある意味、明快であり、旅に出発した人の答えである。

そして、こうした問いは、私たちに返ってくる。

「旅に出られますか?」と

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