2005年11月21日月曜日

蔵前 仁一「 ホテルアジアの眠れない夜」(講談社文庫)

「長期旅行者の憂鬱」「星空ホテルの眠れない夜」「旅のスクラップノート」「旅が教えてくれたもの」の4章からなる、アジアを中心とする旅行記。

バックパック旅行の達人、蔵前仁一氏が語る、アジアの長期な貧乏旅行のあれこれ。

まず、第1章では、安上がりのバックパッカーの旅行と、彼らなぜ汚い宿が平気なのかが語られる。

「僕も含めて彼ら旅行者達が、そんな汚い部屋やベッドを、何故ちっとも「悲惨」だと思わないのかというと、それは明らかに、まわりのネパール人たちの生活の方がもっと「悲惨」だからである。

  だが、実は恐らくはそのような旅行者たちのほとんどは、電気もなくクーラーもなくテレビもない生活を「悲惨」な生活と考えることができなくなっているのではないか、と僕は思う。日本ではそれらの「文化生活」を味わっていたのかもしれないが、失ってしまってもちっとも「悲惨」などとは思えない。なくなってサッパリしたなんて感じることさえある。意外なくらいそう感じる
ネパール人の生活が、だから理想的で素晴らしいものだとは、残念ながらいえない。彼らは貧困にあえいでいるし、病院も学校も、もっと必要なのだ。
 しかし、その合間にいる僕らのような旅行者は、そのどちらもが「理想」と「悲惨」を持っているということに気づかずにはいられないのだ。」

その上で、こうした長期旅行を自慢のタネにする旅行者の思い上がりにも一言。


 インドとかネパールのような「ビンボー国」を旅していると、これらの国の「ビンボー」にひたすら没入していくタイプの人がいる。ボロボロの薄汚い服をまとい、髪を伸ばし、ヒゲをはやし、「おれはインド旅行一年だかんね」と全身で表現している人である。

  このような人は、とにかく極限まで金を節約することを行動の規範とし、自分をインドの困窮と貧困の中で同化させようとしているらしい。

 そのような「ビンボー旅行者」が誤解しているのは、彼ら流の「ビンボー旅行」を完遂することこそ、「貧乏な民衆」を理解する唯一の手段であり、そのことで「民衆」に同化できると思っていることなのである。
 これは完璧な誤解である。何故なら「貧乏な民衆」の誰一人として「ビンボー旅行者」のことを、自分たちと同じような貧乏人などとは思っていないからだ。本当に貧乏なら、フラフラとインドまで旅行できる訳がない。「安宿」のドミトリーのベッドに泊まれる訳がない。そのような旅行者を見て、自分達と同じような「貧乏人」などと、思ってくれると思う方がどうかしているのである。

  旅のよさというのは、長さや、金の有無や、回数の多さでわかるというものではないと僕は思っている。
 要するに自分の中にあるものが旅によって引き出されてくるだけなのだから、どんなに長く多く旅しても、何もない人からは何も出てはこないのだ。だから、逆にそういう人にとっては、いかに長く、いかに多く旅しているかだけが大切な問題となるのだろう。

といった第1章を基礎にして、旅の面白さ、にんまりするような体験談が語られる。


第二章では、ヒマラヤ山中や南の島の夜の意外な騒音や、インドの安宿でシャワー、水道完備のサービスを支える少年、絶大な権力を誇る中国の宿の服務員。貧乏旅行者でもモノだくさんの金持ちと思われてしまうインドの事情

第三章では、格安航空券からアジアのコミック事情、タバコの嗜好など、長旅からこぼれおちてくるさまざまな話を収録。

最終章の「第四章 旅が教えてくれたもの」では、アジアの貧乏旅行の周辺の姿、インドの乞食に金をめぐんでも感謝されない理由とか殺人的としかいいようのないアジア(特に中国)のトイレ事情、近所の小川を越えるのと一緒なビルマの辺境の国境情勢といったことが語られるが、パキスタンやバングラディシュの密入国者が日本でつかまると入国管理局の監視下におかれるが、彼らを監視するガードマンの時間給が、彼等の国の2週間の生活費に相当したりといった話もでてくる。

アジアの国、旅行を語るときにつきまとう、国力の差、多きな貧富の差についても考えさせられる。

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