2011年12月12日月曜日

「頂」が遙かな仕事に取り組むときの言葉

昨年来から関わっている仕事が、どうにか一区切りがつきそうな感じで、今は、物事が片付くときの雑事の煩雑さと、一定の安堵感の中にいるのだが、この仕事に関わって、最近思っているのが、「山を崩すように、岩を砕くように仕事をする」というようなこと。
 
この仕事というのが、業務改革というか、立て直しというか、そんな類のもので、立て直される当人からすれば有り難くなく、立て直しを命じた本社からすればうまくやって当たり前的な仕事で、あまり割が合うものでもないのだが、とにかく縺れているひもを解いていくような仕事であるのだが、くさらずに取り組めたのは、ずっと先の頂をみるのではなく、「山を崩して小さくする。岩をく崩して小さくする。そして崩した土塊や石屑を片付けていく」といった感じで仕事を進めることができたからかな、と思っている。
 
特に、頂をみているとその遙かさに目がくらむのだが、山塊の間、岩の隙間の、プリンのようなやらかな場所のようなところを見つけ、刃物を入れていくような仕事は、隙間を発見したときの喜びと切り分ける時の爽快さはいいようがない。
 
以前読んだ、司馬遼太郎の「馬上少年過ぐ」という短編集に収録されていた「貂の皮」という短編で、気に入った一節があって、それは脇坂甚内という武将を主人の豊臣秀吉が評して
 
「甚内は、野良仕事をする作男(あらしこ)のようだ」・・・武士の戦場稼ぎというのjはきわめて投機性の高いものだが、甚内は作男が照る日も曇る日も野良へ出てくわを動かすように平凡で、実直で、むらがない。
 
というところなのだが、この一節にあるような仕事ぶり、戦ばたらきが、なんとなく職人的で気に入っていて、今回の仕事でもできるだけ、このような感じで、と意識して動いた感じがある。
 
まあ、業務改革や立て直しといった仕事は、仕事が完成した途端、その功は、仕事を命じた者か、監督していた者にいきがちなもので、これから自分の仕事がどう評価されるのかはわからないのだが、ひとまず、先行きの見えない仕事をやるときの、道標的な言葉として刻んでおきたい。
 
山を崩すように、岩を砕くように仕事をする。
そして、作男が野良仕事をするように、土塊を崩し、石屑を砕く
そうすると、いつのまにか自分の後ろに広大な農地が広がっていることがわかるだろう
 

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