2011年12月11日日曜日

「お天道様が見てる」ということを思い起こすべきときか

オリンパスの不祥事に関連して書かれた、BLOOM CAFEの小山龍介さんの編集長ブログ「観客が誰なのかを考えれば、自ずとやるべきことは見えてくる」を読んでいて、ふと個人的にも思うことがあったのでエントリーをしておく。
いまだ係争中の事件で、本当のところはこれから明らかになってくるだろうから、誰がよくて誰が悪いか、というつもりはないのだが、今回スタンスの違いがはっきりしたのは、いわゆる経営の専門家として数々の企業を渡り歩くことを常としている外国人の元社長と社へ人生を託してきた日本人の役員の処し方の違いだろう。

私も一応現役の勤め人で、部下も数人いる立場であるから、いわゆる「会社」を守りたいという気持ちはよくわかるのだが、やはり小山さんの主張するように「観客が誰か」を間違えた処し方であった気がする。特に日本的な組織に身を置いていると、組織内の評価が全てであるような気に往々にしてなりがちで、いわゆる「世間」というものへ意識を伸ばしていくことがついつい疎かになるのは、私もよく体験するところだ。このあたり、今回の不祥事は、利に聡いといわれている外国人のほうが大利を得るために、小悪に手を染めなかったという構図のようで、なんとも複雑な思いである。

しかし、日本人の性向というのは、自己主張よりも「世間」「外聞」というものを評価の第1におくことが特徴のように言われていたはずなのだが、バブル崩壊後の長引く不況がそのあたりの意識を「身内内の評価」を最優先する傾向へ駆り立てているのかもしれず、いわゆる「道」という言葉で連想される、行儀良さ、倫理観というものを萎えさせてしまっているのかもしれない。

侍に「武士道」あり、商人に「商道」あり、といった古の言葉を思い起こすべき時なのかもしれないし、時代劇ドラマではよく言われていた「誰も見ていないかと思ったら、お天道さまは、しっかりご覧だったんだよね」ということ思い起こすべきなのだろう。


古人曰く「天網恢恢、疎にして漏らさず」。心に刻むべきである。

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