2011年5月3日火曜日

池上永一 「テンペスト」(角川書店)

沖縄(琉球)の王宮を舞台にした歴史(時代)小説。
主人公は真鶴という女性なのだが、この女性が、科試(琉球の科挙みたいなもの)の合格を目指し、宮廷入りし、といった、一種のサクセス・ストーリーっぽい物語。

琉球の第二尚氏王朝時代。この時代の琉球、女性が後宮以外に宮廷で活躍する舞台はない。首里の貧乏士族で、科試狂いの父親のもとに生まれた真鶴は、受験がいやになって失踪した義理の兄の身代わりになって、父の、いや一族の望みを叶えるため、男性の「孫寧温」となって宮廷いりを目指す、といったところから始まる物語。

上巻の構成は

第1章 花髪別れ
第2章 紅色の王宮へ
第3章 見栄と意地の万華鏡
第4章 琉球の騎士道
第5章 空と大地の謡
第6章 王宮の去り際
第7章 紫禁城の宦官
第8章 鳳凰木の恋人たち
第9章 袖引きの別れ

で、真鶴が宮廷に宦官としてあがり、順調に出世の道を歩む。その過程で王族神である聞耳大君と争闘や、清朝の使節団の一員で琉球王府を我が物にしようとした徐宦官との死闘が語られるのが上巻。

この物語の魅力は、なんといっても「沖縄」という「大和」ではない地、価値観も風情も違い、明治以前は、江戸幕府の治める日本本土より文明国であった、「琉球」の持つ魅力と、美しい娘、いや宦官の真鶴こと孫寧温が、女であることを隠しながら、ライバルを圧倒し、政敵を倒して成り上がっていく爽快さにある。
総じて、成り上がり物は、主人公がよほど嫌みな奴でない限り、読んでいて楽しいものなのだが、この話は、孫寧温(真鶴)の姿が、痛々しくて、それでも使命感に燃えて懸命に頑張る姿に妙に感情移入してしまって、ガンバレ寧温ってな感じになってしまうのがミソ。

ついでに、ちょっとなじみの薄い、幕末の東アジアの国際関係、特に、日本側から見たのではなく、日本の外から、薩摩藩であり、江戸幕府の姿をかいま見ることができるのも、おまけではあるが、お得。

で、下巻に移ってもらえばわかるのだが、この上巻は、いわば宮廷の表舞台である王宮に執務所にあたる。

王宮全体の姿は、裏舞台である後宮 御内原と合体しないと完全な王宮にならないというところが上巻まで。

続く下巻の構成は

第10章 流刑地に咲いた花
第11章 名門一族の栄光
第12章 運命の別れ道
第13章 大統領の密使
第14章 太陽と月の架け橋
第15章 巡りゆく季節
第16章 波の上の聖母
第17章 黄昏の明星
第18章 王国を抱いて跳べ

上巻で、八重山に流刑になっていた孫寧温こと真鶴が、王宮に復帰、しかも側室として、といった展開で進行していく下巻。

もともと真鶴っていうのは美少女という設定だったから、宦官として官僚勤務をするより、側室っていうか女官っていうのが、ふさわしいっていうか、もっとも穏当な物語の紡ぎ方だったんだろうが、さすがこの作品の筆者、はじめは男として宮廷にあげ、その後、女として後宮で活躍させ、それにあきたらず、今度は・・・ってな感じで展開させていくから、油断も隙もない小説である。

しかも、上巻では、どちらかというと宮廷内というか、すくなくとも琉球政府の中の対立が中心であったのが、下巻では、幕末とあって、欧米列強が登場する舞台的にも、かなり大仕掛けになってきている。

で・・、と筋立てを書いてしまうとネタバレが過ぎて、血湧き肉躍るこの小説を読む楽しみが失せてしまうから、筋の紹介は、この話ではここまで。

代わりに、雑感を少し書くと、この琉球王朝ってのがなかったら、日本の開国というか、幕末の情勢は、ひょっとすると、もっと悲惨なものになていたかもしれないな、と思ったりする。この小説の展開が歴史事実かどうかは知らないが、少なくとも、ペリーをはじめとする欧米列強が清王朝を手にかけた後、日本へ向かうその途上で、琉球国はワンクッションであったには間違いないであろうし、琉球国を経た欧米列強の情報が全くなければ、日本を
ひっくり返した幕末の動乱の中、日本が列強のいいようにされたであろうことは間違いなく、アジアの姿も今とは違う様相を示していたであろう。それは、列強の暴風雨をもろに受けざるを得なかったインド、アフリカの姿が象徴しているといってよい。

そして、間接的とはいえ、植民地にならないですんだ「日本」いや「大和」が琉球に何をしたかというと、それは、この小説の中にも出ているように、新たなアジアの「列強」としての振る舞いでしかなかった、というところに、この国の一種の凶暴性を感じるのである。そして、その凶暴性が、この琉球の併合にとまらず、太平洋戦争での惨状につながり、最近のアメリカの基地問題をベースにした政府の迷走・暴走をつながっていくことを考えると、少し暗澹たる気持ちになってくる。

だが、この暗い世相の中、ブックレビューまで暗くすることは本旨ではない。王朝は滅びながらも一種の明るさを見せている終章の一説を引用してこのレビューは終わろう。

ー国が滅びたのに、どうして私の心は豊かなのかしら?

孫寧温が消えると同時に真鶴の嵐は終わった。もう二度と真鶴が寧温に翻弄されることはない。四十年前、王宮に鳴り物入りで現れ、疾風のように駆け抜けていった宦官はこれから、毎日、人の記憶の中から消えていくだろう。

だがこの夜風の何と心地好いことだろう。王国の栄光はすべて過去のものとなったが、人が生きている限り、大地ではどんな国でも興せる。今は静かに未来を祈るだけである。

テンペスト(嵐)はいつか去る。そして、その後に来るのは、再興への志である。




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