2011年5月5日木曜日

杉山幸丸 「崖っぷち弱小大学物語」(中公新書)

サルの研究をしていた筆者が、有名大学でもなく、国公立でもない、中部圏の小さな私立大学の人文学部長に就任して、そこでの経験をもとに、今、地方の、(筆者の言葉で言えば)弱小の私立大学を通して、少子化時代における大学の苦労と目指すもの、そして現在の大学生気質、教員気質を垣間見せてくれるのが本書。

構成は

第1章 変貌した大学
第2章 学生は大学に何を期待しているか
第3章 教員にとって大事なのか教育か研究か
第4章 経営者と事務局にとっての大学
第5章 学長の資格
終章  教育とは愚直に進めるもの

となっていて、目次を見る限りは、現在の大学教育全体を憂い、大学のあるべき姿を提言、っというような印象をうけるかもそれないが、そこは大学教授の習い性。内容的には、地方弱小私立大学のあれこれと、いくつかの大学改革の話と思って読めばいいだろう。
といっても、けして悪口を言っているわけではない。最近、本書にでてくるような「地方」「弱小」「私立」の大学の大学改革に携わらせてもらっていて思うのだが、大学改革といえば、立命館であったり慶応大の藤沢キャンパス、国公立でいえば東京工業大、北九州市立大といった数々の素晴らしい例があるのだが、いずれも素晴らしすぎる気がしていて、改革の熱意も、とてもそこまで達していない、フツーの小さな大学の話がもっとあっていい、と思っていたので、このあたり、諸星 裕氏のいくつかの著作と相通ずるものがあって、こうした著述がもっとあっていい。

ただ、「地方」で「小規模」でといった条件であるがゆえに、その「改革」は、それに内在する課題をはらんでいることは間違いない。

それが、本書のいう「Eより下のFランク大学」の出現であり、大学進学率の上昇、いわば大学全入時代とも言われる中での大学で何かをするわけでもない、「親が行けと言ってからきている」「友達がみんな行くから来た」といった学生の増大であり、学生獲得に頭を悩ませたがゆえの大量の留学生の受け入れ、であり、それにもかかわらず一向に変わろうともしないが日常化している大学の姿である。

さらに、"あえて"付け加えるとすれば、弱小大学であるにもかかわらず「教育」より「研究」が大事と思っていたり、学生や世間より「教授会」の決定の方が優先と思っている、昔ながらのタイプの教員たちであり、十年一日の勤め方を良しとする大学事務職員も、やはり残念ながら数多くいる、といったこともある。("あえて"としたのは、筆者はやはり「大学教員」の人なので、このあたりへの論調は弱めになっているので、あえて書いておく)

そして、この「大学改革」の問題は、「大学」というおよそ変革とは縁の薄そうなエリアにおける変革の話であるがゆえに、それは、我々が生活する「地域」の変革の話と、勤務する多くの「会社」の変革の話とけして無縁ではないと最近思い始めている。いわゆる「大学改革」ということで語られる話が、数多くの企業の変革と業務改革の話と共通する話題が多いのだ。「頭の固い上層部」「危機感の薄い職場」などなどは、ビジネス書によくでてくる面々である。

ひょっとすると、プライドが高く、非常に固い、「大学」の組織ていうのは、教育や研究という様々なヴェールを取ってみれば、業務改革の格好の対象物かもしれませんな。

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