で、そうなると「ぼくんち」である。
というのは、全編を通じて流れるハチャハチャさともの悲しさ、そしてラストの泣かせどころといい、「いけちゃんとぼく」にひけをとらない出来だと思うのだが、どういうわけか、大々的に取り上げられているのを最近見ない。やはり、西原さんのいう「下品さ」が影響しているのか?けして、そんな下品ではないぞ、とこの作品を援護したくなったという訳である。
始まりは、「山と海しかないしずかな町」に住む男の子「二太」のところに、三年前に家出していた母親が帰ってくる。なんと「おねえちゃん」と一緒にだ。「おねえちゃん」の名前は「かのこ」といって、ここにくる前は「ピンサロ」で働いていて・・・・、といったところから。まあ、なんとも乱暴な出だしではあるが、西原さんの漫画らしいといえばいえなくもない。
そして、再び母親が家出して、二太は、(たぶん)この血のつながらない「おねえちゃん」と暮らし始めるのだが・・・
といった感じで進んでいくのだが、町の人間というのも、貧乏で、のんだくれで、隙を見せればトロいやつから何かをかすめとろうとするし、隙がなくても、なんとか自分の身は守ろうとする、「なんとも、は~~・・・」、という感じで、こすっからくて、なんとも切ない暮らしが展開していくのである。
町のワルの「こういち」くんや、シャブ中でアルコール中毒の父親をもちながら、とっても強く生きている「さおりちゃん」や、わけがわからんようになっている中華料理屋のおやじとしっかり者のおかみさんやら、小さな、山と海にへばりつくような町で、せせこましく、しかし、それぞれに目いっぱい生きている、悪いこともたくさんして、善いこともそれなりにして生きている姿が、二太、一太、そして「おねえちゃん」のかのことともに、エンドレスに続くかのように、語られていく。それは、ワハワハと笑いを誘いながら、そのくせ、ちょっぴり涙を誘う物語の連続である。
しかし、物語には、始まりもあれば終わりもある。そして、大抵の場合、始まりはゆっくりと始まっても、終わりは、ガラガラっと終わっていくのが、多くの物語の常である。
一太は都会へ出、「おねえちゃん」は母親の借金を返し終わる頃、二太の将来を思い・・・
というところで、この「ぼくんち」の最後の泣かせどころをネタばれ承知であえてレビュー。
と、いうのも少しネタばれしたところで、いや、むしろ少々ネタばれした方が、このシーンを読むがために、この本を手に取る人が出てくると思うがためだ。
絵を出すとネタばれがすぎるのでセリフだけを引用すると、
一つは、物語の終焉の一つ前。
かのこ と 二太 は町の山に、タイムカプセルを探しに行くが見つからない。
そこで、かのこは、二太に親戚にもらわれることを告げ、
それからねえちゃんは
うしろを向いてずっと地面をほじくり返していた。
ハナ水がどばどば出ているのが見えた
日がくれて
宝物はみつからなかった
ねえちゃんは
小さな声で
ねえちゃんはここにいるから、
ねえちゃんはタイムカプセルやから、
いつか、一太と二太でむかえにきてな
と言って
またハナ水を
どばどば出した
そして
二太が親戚のおじいさんに引き取られて、漁船で、この町を離れていくシーンが、また泣かせどころというか、絶品である。
(船べりから、だんだん離れていく二太の目線で)
恐竜の入り江がすぎると
いよいよぼくの町が見えなくなる。
(じいちゃんのセリフ)
二太、
寒いき
中、入っちょき
(二太、振り返って)
じいちゃん、
ぼく
知ってんで。
こうゆう時は
笑うんや。
どうです。泣けてくるでしょ。私なんぞは、はじめ白黒のバージョンのものしかもっていなかったのだが、このシーンをカラーで見たいために「ぼくんち 3」を買ったのでありますよ。
「いけちゃんとぼく」が「泣ける本 NO.1」であるなら、この「ぼくんち」は「もっと泣ける本」であり「元気の出る本」であること間違いなしの一冊である。
しかし、ビンボーで、せこくて、トロい人を登場人物にして泣かせる物語を描かせると、西原理恵子さんってのは名手なんだよな~。
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