その人が、構造改革を推進してきたことを自己批判し、「転向」を表明したのが、本書である。
構成は
序章 さらば「グローバル資本主義」
第一章 なぜ、私は「転向」したのか
第二章 グローバル資本主義はなぜ格差をつくるのか
第三章 「悪魔の碾き臼」としての市場社会
第四章 宗教国家、理念国家としてのアメリカ
第五章 「一神教思想」はんぜ自然を破壊するのか
第六章 今こそ、日本の「安心、安全」を世界に
第七章 「日本」再生への提言
終章 今こそ「モンスター」に鎖を
となっていて、著者がなぜ「市場原理主義」に惹かれていったか、を若い頃の留学経験などを語りながら延べ、「アメリカ」という国家の特異性、実は「市場原理主義」も特異な存在であることと、その欠陥というよりは害悪が、まず語られていく。
途中、キューバやブータンといっ貧しくはあるが国民が満足して暮らしている国家の話などが語られ、第六章あたりからは、市場原理主義との決別や、日本なりの取るべき道の提言がされていく。
内容的には、難解すぎる経済用語などは少ないので、経済学っぽい本としては取っつき易い方だろう。専門家あたりには、目新しいものがないといった批判もあるが、なに、私のような素人には、それぐらいがちょうどいいってなもんである。
また、最近、諸悪の根源のように言われ始めている「市場原理主義」の批判ないし欠陥を勉強する本としては、私のような素人にうってつけの本といっていい。
ただ、ただ、である。
こいつは、極度に個人的な見解として考えていただきたいのだが、これは「禁断の書」あるいは「禁じ手が使ってある本」なのではないだろうか。
市場原理主義の功罪は全世界的な話なのでおいておくとしても、小泉内閣の「構造改革」が日本の社会へもたらした影響というのは、かなりすさまじいものがあった、と私は考えている。それは、陽の面もあるが、もう取り返しのつかない「影」「陰」の面も確実に存在する。そうした政策の、かなりの中枢であった人が、この時点で反省している感じはあるが、「間違っていました」「転向です」というのは、ちょっとないんじゃないの、という感覚が先に立つのである。
さらには、本書の始めの方にあるように、アメリカ留学当時は、そうした新自由主義思想がぴかぴかに輝いていたから、良いモノと思いこんで仕方がなかったばりのあたりを読むと、「嗚呼、騙された我が悪いんだろうね・・・」と自嘲的に呟かざるをえなくなってくるのである。
「世の中は革命、反革命、反々革命、反々々革命の連続だ・・・、何も変わりはしない」といったなげやりな言葉を口にして、この稿を終わろう。正直な感想をいえば、仕事柄、構造改革には、地方政府のこととはいえ、少々関わった身としては、いろんな思いが交錯して、この本を読むのは、ちょっと疲れるんですわ・・・。
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