宮崎に行って思った「地方創生」の競争感は健全なのか、ということ

2015年5月30日土曜日

地域振興

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自然保護系の仕事も担当していて、その絡みで、宮崎県で開催されている「みどりの愛護のつどい」に参加した。
参加と言っても一般参加なので行事のどうこうには感慨もないのだが、式典のあちこちではさまれる、宮崎の高千穂を中心とした古代をモチーフにしたものであるとか、宮崎の飫肥藩の領主であった(らしい)伊東家の戦勝祈願の舞とかをみているうちに、今、日本中の公共団体の行動に大きな影響を落としている「地方創生」の競争感について、ちょっと疑問を感じた次第。

「地方創生」は、個人的な解釈で言うと、地方がそれぞれ目標(数値)を立てて、おのおのの地域活性化の知恵を絞ろう、そのために国もお金を出して応援しようということで、それそのものは良いことだと思う。

今回ちょっとガリッときたのは、その動きの中に、どこそこに負けるなとか、「地方創生で一番に」といった意識が、地方公共団体のそこかしこに出てき始めていることである。
たしかに、地域活性化というのか限られた観光客やら都会に住む人の感心を取り合うことにであるから競争の色合いが強いことは否定しないし、競争のない活動は、多くの文化活動であるような自己満足による沈滞を招くであろうことは異論ない。

ただ、日本海側の辺境に住まう身として思ったのが、宮崎の高千穂の伝統文化と日本海沿岸のの伝統文化が果たして、どちらが一番、といったことを競わせるべきものなのか、ということ。ましてやそこへの国家的な支援がメルクマールの良し悪し、あるいは東京を核とする中心論的な価値観でランク付けをしてしまって良いのかな、というところである。
なんといっても高千穂と山陰のどちらが云々といっても勝負や優劣をつけるなんざ野暮の極みではありませんか。

江戸期、それぞれの富貴の度合いはあれど、三百諸侯がそれぞれに誇りを持ちながら、それぞれの「御国」を大事にしてきていたような印象をもっていて、地方創生の基本は、こうした身近な「御国」の大切さ、愛おしさを踏まえながら、「御国」を元気にするよう頑張っていく、ということが基本で、それぞれの頑張りの順番をつけていく、といったことではないと思うのだが、どうであろうか。

ただ、いざ一線上に並ばされて、「おのおのの地方と良さをみせてみい」と天下人に言われたら、思わず一番槍を競ってしまうのが勤め人の性かもしれないですね。

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日本の人口最少県の住人。なりわいは行政書士。読書好き、ガジェット好きの昭和人です。

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