2011年3月31日木曜日

高橋克徳ほか「不機嫌な職場」(講談社現代新書)

成果主義あるいは、市場主義の浸透によって、何が変わったかというと、個人的な実感としては、職場の人間関係が一番かな、と思わざるをえない。


 私なぞが勤め始めた1980年代は、今に比べるとかなり牧歌的な時代といえなくもなくて、勤務管理もかなりいい加減であったし、なにかしら、のんびりとした風情が残っていた。具体的な例を挙げれば、週休2日制は、まだ大企業にしか導入されてなくて、大半の会社は土曜日は「半ドン」という形で、勤務時間は午前中までだったので、昼からは同期で集まって麻雀をしたりとか、遊ぶ仲間が集まらないので、
やることがなくて残業したり、といった具合であったし、職場の泊まりがけの忘年会やレクリエーション、運動会もまだまだ健在であった。
  それがいつの間にか、妙に人間関係の薄い、どこなく尖った職場になってきている。そして、こうした職場の在り様を、さほど抵抗なく、皆が受け止めてしまっているという状況のような気がする。

 本書は、そうした出口のない「職場の問題」に対して、なんとか解決のアプローチを探ってみようとしている。

 こうした状況がなぜに生まれたのかというのは、本書でも示されているように、1990年代後半から、様々な側面で進められた「効率化の圧力と成果主義」の動きが、「仕事の定義」の明確化を進め、それは、個々の職場のサラリーマンの専門性を深化させる。そしてそれが、日本の組織の生産性を高めるともに、「調整」「束ねる」といった力を弱める、組織力を弱める、といった方向へと誘導した、というのは恐らく正しいのだろう。
 ただ、それをかなりの力で加速したのは、当時の職場を覆っていた一種の「閉塞感」であったように思う。こうした閉塞感の打破が、当時、アメリカ風で、ぴかぴか輝いていた、専門職化とIT化に包まれ、べたべたした人間関係から離れた労働、というものに人々が傾斜していったせいもあるような気がしているのである。

そうした意味で、つい最近まで運動会をしていたという話があるグーグルの就労環境は、グローバルのエンジニアの集団という特異性の欠陥を補うための戦略的なものかもしれないが、乾いた職場環境だけではない、という意味で注目してもいいだろう。とりわけ、グーグルが採用の時に重視するものは、

①スキル
②コワークできるか(ほかのグーグルの人と一緒に働けるか)
③セルフスターターかどうか(自分で動ける人か)

というあたりは、何かを象徴しているようで興味深い。

本書は、このほかにサーバーエージェントの取り組みやヨリタ歯科クリニックの取り組みが紹介されていて、職場の人間関係の改善や、職場管理を担当しているセクションの方たちには、処方箋も含めて、非常に興味深いだろうし、その手法として本書が提案する「共通目標・価値観の「共有化」や「インォーマル活動の再評価」、「感謝と認知のフィードバック」など職場をリペアするための具体的な教則本として読んでもいいだろう。

で、ここで、天の邪鬼的な辺境駐在員は呟くのである。べたべたな人間関係を嫌ったと思ったら、乾きすぎだと言う。なんとも終わりのない話しではあるのだなー、と。

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