2011年3月21日月曜日

組織と人材について

昨日、横山光輝の「三国志」に絡めて、魏と蜀の人材供給の差について「またあらためて」と言っていたのだが、実はこれに関連して、塩野七生さんの「ローマ亡き後の地中海世界 下」で参考になりそうなフレーズがある。
P355

この時代のスペインは、ヨーロッパ一の強国であっただけでなく、新大陸までも支配下に収め、軍事面に留まらず経済面でも超がつく大国であったのだ。
「パクス・ロマーナ」とは「ローマによる世界秩序の確立」だが、この時代、「スペインによる世界秩序の確立」が成り立ったとしても不思議ではなかった、スペインは、大植民地帝国にはなった。だが、「パクス・ブリタニカ」になる以前に、「パクス・ヒスパニカ」の時代は訪れなかったのだ。その要因の第一は、近視眼的、とするしかないスペイン人の政治感覚、にあったのではないかと思う。つまり、自分たち以外の他の民族を活用する才能に欠けていた、ということである

そしてこれは、トルコ帝国にもいえて、あれほどルネサンス期に広大な領土を領していながら、「パクス・オトマニカ(オスマン帝国による平和)」が「パクス・ロマーナ」のような輝きをもたないのは

P323

一神教徒のトルコ人は、多神教徒のローマ人ではなかった。神は、自分の信ずる神のみ、と考える一神教では、信仰に熱心であればあるほど、自分とは異なる信仰を持つ者を同等には考えられないのである
といったところに原因があるのではないかと思う。
そして、この他民族への不寛容さ、もっと砕いて言うと、他者に対する不寛容さ、というのは、三国志の「蜀」にも通じるような気がしていて、それは、この国の精神的な成立根拠である「漢王朝の復興」という新時代の勃興を許さない「時代の変化に対する不寛容さ」に根ざしているともいえなくはない。
一体に、蜀の劉備元徳、諸葛孔明と魏の曹操を比較すると、人間的には、前二者が清廉である一方でひどく真面目な狭量な印象があるに対し、後者は濁のイメージを持ちながらも、なんとなはない才能が生かせる自由さを感じさせる。本当の話かどうかわからないが、南宋の世説新語の曹操の歌姫のエピソードのように、ある程度の傷には目をつぶって才ある者を使う、という象徴されるものがある。
そして、これは現代の組織における人材の育成、発見にもいえて、あまり綱紀に厳粛になると人を萎縮させ、異能ある人の意欲を削いでしまい、結果として組織の層の薄さを招いてしまうことになりかねない。やはり、人材の輩出を望むなら、ある程度の猥雑さを許容していたほうがよいのではなかろうか。

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