ただ、23巻は「孔明の南蛮行」となっていて、孔明が、東南アジア諸国を攻めたところらしいので、中原の覇権争いには直接関係ないよね、ということで、三国志は、ほぼ読了した、としておく。
一気読みしたせいか、戦乱また戦乱で、攻めたり攻められたり、名将死す、かと思うと名将現るってな具合で、少々茫漠とした思いにかられているのだが、簡単な読後感をエントリーしておこう。
とりわけ、唸らされるのは、周愈と司馬仲達。両者とも孔明に煮え湯を飲まされることが多い描かれようなのだが、二人が孔明と戦う様は、インテリジェンスの極致といってよい。
そして、戦場での負傷が元で亡くなる際、「天はこの周愈を地上に生まれさせながら、何故孔明まで生まれさせたのだ」と嘆く周愈の姿に、不幸にして同時代に巨大な才能と居合わせてしまったナンバー2の悲しさをみることができる(巻15)し、孔明に何度も破れ、魏の中でも、その力を疑われて一度は失脚しながらも、復活し、魏王朝を脅かすまでの力を蓄えていく司馬仲達の姿(26巻、30巻)に不遇の時にあっても復活をあきらめない不屈の人の姿をみることができる。(仲達が失脚していた時に、必ず再度お召しがくるからと、「のんびりと待ちなされ」という、司馬師、司馬昭とのやりとりは、短い頁数ではあるが、司馬一族の懐の深さが感じられて、なんか印象的)
それにしても、次から次へと人材が排出されてくる「魏」に比べ、時が経つにつれ、人材が薄くなってくる「蜀」そして「呉」。
このあたりが、天下の形勢を分けたのだろうな、思うことしきり。では、なぜ、人材の多さ少なさを招いたのかってなところは、三国志のエピソード以外で思うところもあるので、また別のエントリーで。
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