2006年1月21日土曜日

邱永漢 「食は広州に在り」(中公文庫)

食べ物本について、いくつかレビューを書いたが、最近のものだけでなく、古典といわれるものもとりあげてみよう。

まず、今回は、古典中の古典「食は広州にあり」。
著者は、経済小説から財テクまで幅の広い邱永漢さんである。
この作品。解説をみると昭和29年から32年にかけて雑誌に連載されたものとのこと。しかも、吉田健一「舌鼓ところどころ」、檀 一雄「檀流クッキング」といった作品より前に発表されており、食べ物本、グルメ本の先駆け的存在といってよいだろう。

始まりは「食在広州」という章から。衣食女のうちどれを選ぶかといったら、中国男性は迷わず「食」を選ぶだろう、といったところからスタートしている。

このスタートから見ても、旨いものの紹介本だけではなく、食べ物を材料にしたエッセーとしても考えたほうがよい本であることを窺わさせる。

例えば、

子豚の丸焼きは、中国のとある地方で偶然、豚小屋が火事になり焼けた豚をさわった指を口にしたら非常に旨かったことから始まったが、その地方では子豚の丸焼きを食べるために家に火をつける輩がでてきた、とかいった与太話があるかと思えば、


日本人は目で食い、西洋人は鼻で食い、中国人は口で食うといった、それぞれの「食」についての概念について語られたり、


十二切れの豆腐のために鶏を二羽つぶしてダシをとる「太史豆腐」や麺の中にえびの子の入った「蝦子麺」などなどの料理の話


おまけに、料理人とみなされて奥さんが入国するビザがおりない、とかいった戦争の傷は癒えかけ高度成長に入りかけている時代を反映した話

などなど

しかも、そこかしこに中国と日本の比較論、あるいは実と虚の比較論がちりばめられているといった具合。


とはいっても、正座して読まなければいけない、といった堅苦しい本ではない。
とりあげられている中国料理は、やけに旨そうだ

例えば「三刀の禁」という章の

「(豚の後腱の)肉を三切れか四切れの塊に切って、丸のまま鍋に入れる。べつにねぎの白い所を三、四本、四、五寸の長さに切ったものをぶちこむ。これに醤油と水を半々の割合で加え、とろ火で何時間でも気長に煮た」豆油肉に、「干椎茸や、ゆで玉子をぶちこんでおくと、豚のうまみがそれぞれの中にしみこんで、なかなかいいものである。華南から南洋にかけて中国人の市場の中を歩いたことのある人なら、地べたにしゃがみこんだ労働者が、白いご飯の上に醤油色の玉子をのせて、ふうふう吹きながら食べている光景をみたことがあるに違いない。・・・」

といったあたりを読むと、思わず中華料理屋を捜したくなってきてしまう。


きっと、筆者の

「筆は一本、箸は二本、衆寡敵せず」と昔からいわれているから、ぐずぐずしていると、箸に滅ぼされてしまう。しかし、どうせ滅びるものならば、箸に滅ぼされても本望だ」

というほど、旨いものの好きが伝染してくるのだろう。


初刊から年月は経ているが、内容は古びていない名品である。
昭和30年代の雰囲気も味わいながら、読み返してみてはどうだろう。

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