この本にでてくるのはソーセージ、ハムカツ、ローストビーフ、牡蠣の土手ナベ、そして猫めし などなど。
とりあげる素材もいろいろあって面白いが、このシリーズのよさは一遍一遍に、きゅっと凝縮したようなワン・フレーズが存在するところにあるのだろう。
例えば、猫めしを食べようとして「でもなんだか恥ずかしいなあ。特に猫に見られたら、恥ずかしいなあ。軽蔑されるだろうなあ」
とか
キュウリは「実力はない。しかし会社にいてもらわなくては困る」存在だ
とか
熱い味噌汁をすするとなぜ「アー」がでるのか
とか
おもわず頷き、その後の、ちょっと飛躍の多い文章に、そのままの勢いでのせられてしまう、例えは悪いが、屋台で威勢のいい売り口上に乗せられて、おもわず買い物をしてしまう感覚に似ているのかも。
(あ、けして騙されて不愉快というわけではないですよ。むしろ、やられたなー、と笑ってしまう感覚)
百円レストランとかおにぎりスタンドとか、目新しい「食」がとりあげられているのも、こってり、たっぷりとしたご馳走を食べた合間の口直しみたいでまた良。
最後に、東海林さだおさんの文章の最大の魅力、擬音語にあふれた「玉子丼」の一節を紹介しよう。
玉子丼のツユは親子丼よりも少し甘めがおいしい。
ツユも親子丼より多めがおいしい。
丼の底に少したまって少しビシャビシャするくらいがいい。
玉子の黄色いところと白いところがマダラに分かれ、そのマダラのところに甘めのツユがからんでいて、口の中に入れても、その黄色いところと白いところとツユのところが味わい分けられそうに思うところに玉子丼のおいしさがある。
このマダラ君がヤワヤワしていて、トロトロしていて、このヤワヤワ、トロトロがゴハンといっしょになったときの"ユルユルの幸せ"が玉子丼のダイゴミなのだ
どうです。このところだけでも、この本が読みたくなって、
おまけに玉子丼が食べたくなりませんか・・・
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