2006年1月8日日曜日

池波正太郎 「散歩のとき何か食べたくなって」(新潮文庫)

食いしん坊の食通でも有名な池波正太郎さんが、昔の店や味を懐旧しながら名店や旨いものを書いた、いわば昔の味の記録としても楽しめる本。

店の種類は洋食屋から鮨、居酒屋、懐石まで、場所は東京・銀座から京都、大阪まで幅広いが、料理の種類より、池波さんの昔語りを交えた語り口が良い。

例えば、

下町に育った私どもは、子供のころ、大人のまねをしたいときは、先ず食べるものからやった。・・・・上野の松坂屋の食堂でビーフステーキを食べたりして
「世の中に、こんなうまいものがあったのか」
目を白黒させたりした

とか

それぞれの町内には、かならず二、三の蕎麦やがあったものだし、また、それぞれにうまかった。
大人たちは、銭湯の帰りにも、ふところにわずかでも余裕(ゆとり)があれば、かならずといっていいほど、最寄りの蕎麦やに立ち寄ったものだ

というあたり、町内でほとんどの用が足りた(下町に限らず)昔のゆとりのあった生活ぶりが彷彿とさせられる。


ただ、やはり、この本が昭和52年初出であることは、本のあちこちに時代を覗かせる。挿入されている写真は、記録写真をみる感じがするし、文中のそこここにでてくる街の様子は、バブルの荒波など全く予測もさせないような風情である。

池波さんが

二十年前に私どもがなじんでいた宿屋や酒場や食べ物屋の多くが〔サンライズ〕のように店をやめてしまっている。存分に手をまわして客をもてなすという余裕が、東京にも大阪にもなくなってしまったのだ

と、古いものの味わいが失われてしまったと嘆く場面を読んで、この本が昭和52年に初出であることを考えると我々の時代がすでに、もっと遠くへきていることに気づく。

初出の昭和52年の際の後書きに

私が知っていて、すでに廃業してしまった店は、この本に書いた店の三倍にも四倍にもなるのではないか・・・
現代人の食生活は、複雑で予断をゆるさぬ時代の変転につれて、刻々と変わりつつある。
そうした意味で、この後二十年もたてば、この本は小さな資料になるかも知れない

とあるのが象徴的である。

まあ、こうした湿っぽい話は、食べ物本のレビューの締めくくりにはふさわしくない。前に書いた「定食バンザイ」で老舗の名店とされていたトンカツ屋の目黒「とんき」が躍進し始めた時の店内を書いた一節を引用して〆としよう。

半袖の白いユニホームを身につけて、溌剌と立ちはたらくサーヴィスの乙女たち。
新鮮なキャベツがなくなると、彼女たちが走り寄って来て、さっとおかわりのキャベツを皿に入れてくる。
・・・
みがきぬいた清潔な店内。
皿の上でタップ・ダンスでも踊りそうに、生きがいいカツレツ。
私は先ず、ロース・カツレツで酒かビールをのみ、ついで串カツレツで飯を食べることにしている。

うーん。今日はトンカツでも食うかな。

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