2009年9月8日火曜日

塩野七生 「ローマ人の物語ⅩⅤ  ローマ世界の終焉」(新潮社)

長く、長く続いてきた「ローマ人の物語」もこれが最終巻である。そして、千年以上続いてきた、ローマ帝国も、この巻で終焉を迎える。もっとも、東ローマ帝国(ビザンティン帝国)はこの後も存続するのだが、これはもう、いわゆる「ローマ帝国」とは異なるという説に私も賛成したい。

この巻では
・紀元395年~410年までが「第一部 最後のローマ人」
・紀元410年~476年までが「第二部 ローマ帝国の滅亡」
・紀元476年~が「第三部 帝国以後」
という構成で、西ローマ帝国が瓦解するまでが語られる

しかし、この時代のローマ帝国をめぐる人々の名前が、なんと蛮族的なことか・・・。敵である人は当たり前だが、帝国を支えた人の名前すら蛮族的なのだ。
典型的なのは、皇帝テオドシウスから、死後の息子を託された将軍スティリコであろう。
彼は、ヴァンダル族出身なのだがテオドシウス帝に抜擢され、彼から、若年の皇帝の後見を頼まれるのだが、その彼が、ローマ人よりもローマ人らしく、ローマ帝国の存続に力を尽くし、非業の最期を遂げるたあたりは、衰えた国家を象徴するものなのだろう。

さて、この書では、ローマ帝国の「滅亡」が語られるのだが、不思議なほど、その「滅亡」が静かなのである。というのも、ローマ帝国の滅亡は、大きな戦いによる大破壊とそれに伴う異民族支配、あるいは大災厄に伴う荒廃といった、イベント的な終末を示すのではなく、帝国がいくつかに分裂し、尾民族の侵入が続き、自由な交通が途絶え、ブリタニア、ガリア、北アフリカ、イスパニア、と属州がローマ帝国の支配から離れ、といった具合に、砂の山が、さわさわと崩れていくよう「滅びて」いっているからである。
そして、それは人類史上初めて誕生した「大帝国」、大文明ともいえる「大帝国」であったローマ帝国らしい終わりかたといえばいえなくもない。ちょっと関係ないかもしれないが、「盛者、必衰の理あり」といったところか。


最後に、本書の途中で出会った、一節を紹介して、この稿を終わろう。

帝国は、傘下に置いた諸民族を支配するだけの軍事力を持つから帝国になるのではない。傘下にある人々を防衛する責務を果たすからこそ、人々は帝国の支配を受け入れるのである。

国というだけでなく、人々の理としても、ウムと頷かせる言葉ではないですかねー。

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