2007年3月26日月曜日

塩野七生「ローマ人の物語 26 賢帝の世紀 下」(新潮文庫)

芸術にも造詣が深くて、やる気もまんまんのハドリアヌス帝の後半生が書かれる。
この皇帝、首都ローマにいたよりも、外地で統治していた期間のほうが長かった皇帝らしいのだが、そういった形の統治自体が成立したこと自体が、ローマ帝国がすでにかなり成熟した国家であったことの証でもあるのだろう。
 
おまけに、「一貫していないことでは一貫していた」のではなく、自らに忠実に振舞うことでは「一貫していた」といった人物だったらしいから、さぞや周辺の家臣たちは振り回されただろうなー、と古の人ながら同情をしてしまう。
 
この皇帝のときに、離散(ディアスボラ)の始まりとなる、ユダヤ反乱が起きるのだが、どうもこれが、単純な民族反乱や、どこかの王が反旗を翻したっていうのとは違うらしく、そうしたあたりは、本書の
 
 
ギリシアやローマの人々とユダヤ人では、自由の概念でもちがっていた。
もしもあなたが、自由の中には選択の自由もあると考えるとしたら、それはあなたがギリシア・ローマ的な自由の概念をもっているということである。ユダヤ教徒の、そして近代までのキリスト教徒にとっての自由には、選択の自由は入っていない。まず何よりも、神の教えに沿った国家を建設することが、この人々にとっての自由なのである。この自由が認められない状態で、公職や兵役の免除を認められ、土曜や日曜の急速日もOK、だから自由は認めているのではないかと言われても、この人々の側に立てば、自由はない、となるのが当然なのだ。
 
 

というところにも象徴されていて、おまけに、自分に素直な「デキル」皇帝の時に起きたのだから、これは結構、大事(おおごと)になるよなー、と思ってしまう。
 
何はともあれ、このハドリアヌスも年を取って、本国ローマで病床についてしまうのだが、病になってから我が家に帰ってくるあたり、ひところのモーレツ企業戦士さながらである。
 
このハドリアヌスの没後、次の皇帝になるのが、アントニヌス・ピアス。この人の治世を本書によれば「秩序の支配する平穏」というらしく、先帝の強引さとは対照的に、穏やかではあるが、一本筋の通っている「旦那さん」の皇帝といったあたりか。
その辺は、本書で哲人皇帝マルクス・アウレリウスが、アントニヌス・ピウスを「わたしは彼を、太陽を愛するように、月を愛するように、いや人生を、愛しき人の息吹きを愛するように愛していたのだ。そして、わたしが彼に親愛の情を抱いていたように、彼もまたわたしに親愛の情を感じてくれていたと、常に確信していられたのであった」にも象徴されていて、たぶん、能力的にも優れていたのだろうし、統治者としての目配りも優れていたのだろうが、こんな感じで誉められる人は、少々のことがあっても、きっと見逃してもらえるよね、と羨ましく思ってしまう。
 
人格者に、ならんといかんですねー。私も見習おうということで、この巻を読了したのであった。

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