2009年8月14日金曜日

塩野七生 「ローマ人の物語 ⅩⅢ 最後の努力」(新潮社)

塩野七生氏の代表作といっていい、「ローマ人の物語」もこの巻あたりになると終幕に近づいてくる。

この巻で語られるのは、三世紀終わりから4世紀はじめの、ディオクレティアヌス帝から、コンスタンティヌス帝の時代である。歴史家によれば、ディオクレティアヌス帝から、ローマ帝国は、元首制から独裁君主制に移行したといわれていて、5世紀には、ローマ帝国も迎えるのだから、このデイオクレティアヌス帝、コンスタンティヌス帝の治世というのは、蝋燭が燃え尽きる前に炎が大きくなる現象に似ていなくもない。

ディオクレティアヌスは、帝国を2人で治める「二頭制」や4人で治める「四頭制」といった、国力の落ちてきているローマ帝国がペルシアや蛮族の侵攻をくいとめる苦肉の策ともいえる統治策を打ち出す。この統治方式はローマ帝国を蛮族から守るシステムとして有効に作用するのだが、このシステムの本質は、長年、苦楽を共にし、心の通じ合った友人や部下と、帝国の統治を分担しあうという美しい側面ではなく、

分担とは、現にあるものを分割したのでは済まないという問題を内包している。分担とは各自の責任を明らかにすることでもあるから、その人々の間に競争状態が生まれるのは、人間の本性からもごく自然な方向とするしかない。四人はいずれも、自分が責任を負うと決まった地域の成績をあげようとする。

システムであるらしい。
しかし、この制度も、彼の引退後の、正帝、副帝の食い合いともいえる内乱が頻発する。やはり、国力の衰えというものは、統治制度だけでは補いきれないものなのだろうと、嘆息せざるをえない。

しかも、このシステム、どうやら、行政改革なんぞとは縁遠く、軍隊と官僚をかなりの規模で増加させ、増税も必要になったらしい。まあ、正帝、副帝とはいっても皇帝は皇帝である。そうであるならば、それぞれの宮殿や国を維持するシステムがそれぞれに作られるようになったであろうし、軍隊もそれぞれで独立してつくり運営されるということになったであろうから、当然の帰結というべきか。


ディオクレティアヌスで、ちょっと悲劇的なのは、まだ体力も知力もあるうちに引退し、後進に道を譲るのだが、影響力の衰えは如何ともしがたく、妻や娘の幽囚を、隠居先で黙って見ていなければならなかったあたり。本人にしてみれば、キングメーカーよろしく、「天下のご意見番」あるいはローマ版「水戸黄門」をきめこみたかったのかもしれないが、現実は甘くなかったらしい。



このディオクレティアヌスの引退後、六帝が並び立つなか、天下を征したのがコンスタンティヌスである。この人、西方の正帝でブリタニア・ガリア・ヒスパニアを統治していたコンスタンティウス・クロヌスの息子なのだが、生みの母親は、父の政略結婚で離婚されていて、ディオクレティアヌスのもとで成長している苦労人であったようで、統治の術も巧みであったようで、ローマ帝国を再び一人で治める体制を作り上げたのは「大帝」という名にふさわしいといえる。(もっとも「大帝」と賞賛されたのは、キリスト教の国教化によるらしく、領土的な拡張によるものではないらしいけどね)

ただ、私には、なんとも「暗いな」と思わせるのである。
それは、元老院の弱体化をはじめローマ帝国を完全な独裁君主国家に仕上げたあたりと、六帝の乱立から、帝国全体を手中に収め、さらには支配体制を確立した程の中で、妻の実兄のマクセンティウス、異母妹が嫁いでいるリキニウス、そして実の息子のクリスプスと、自分のライヴァルあるいは、自分の支配を揺るがす種子になりそうなものを、着実に、じわじわと片付けていく風情にあるのかもしれない。

まあ、なんにせよ、彼の下でキリスト教も国教のみちを歩み始めることになる。彼のキリスト教政策がなければ、ヨーロッパ社会はおろか、世界の姿も変わっていただろうから、平和を享受している今の日本の住まう私としては、ひとまず彼に感謝すべきなのだろうな。

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