2009年8月15日土曜日

塩野七生 「ローマ人の物語ⅩⅣ キリストの勝利」(新潮社)

ローマ帝国を根本から変えたといっていい、コンスタンティヌス大帝の死後、跡をついだ息子のコンスタンティウス、そして背教者といわれたユリアヌスと続くのが、この巻である。そして非常に象徴的なことに、この巻の最後の第三部は「司教 アンブロシウス」とされていて、皇帝ではなく、キリスト教会の司教の名前が表題である。

まず最初は、コンスタンティヌス大帝の次男であるコンスタンティウスである。とはいっても、最初から、コンスタンティウスが帝国全土を継ぐという形になっていたわけではない。
最初は、コンスタンティヌスの息子三人、甥二人で帝国を5分して統治することとなっていたらしい。
それが、大帝の葬儀の際に、甥二人が暗殺され、その後帝国を三分して統治していた兄弟が、最初は、長兄のコンスタンティヌス二世が、末弟のコンスタンスと北アフリカをめぐって対立して敗死し、コンスタンスは、圧政による民衆の不満を背景にした配下の将軍の謀反により自滅する・・といった経緯をたどって帝国を一人で支配することになったもので、この流れをみて想像出来るように、なんとも疑り深い皇帝であったようだ。そうした皇帝が副帝を任命するというのも不思議なのだが、もう、この時代のローマ帝国は、一人で全土を治めるには、皇帝によほどの能力と体力を必要とするほど、国家の体力が弱っていたということかもしれない。


 そのコンスタンティウスから副帝に任命されたのがユリアヌスで、彼は兄のガルスが謀反の疑いで処刑された後の任命になる。こうしたプレッシャーのかかるシチュエーションであったにもかかわらず、とんでもない力量を発揮している。けして万全の体制と軍備で送り出されたとはいえない、任命後のガリアで、ゲルマン民族を打ち破り、内政を整え、ガリア再興を果たすなど、とても20歳過ぎまで幽閉状態で統治の経験や戦闘歴などなかった若者とは思えない活躍ぶりなのである。さしずめ、哲学者風の織田信長といったところか。
 信長風なのは、そのガリアでの見事な戦ぶりだけでなく、その最期もまた似ている。古のペルシャ帝国の復活を目指して、ローマ帝国東方の攻め入ってきたペルシャ王シャブールとの戦闘で、(おそらくは、ユリアヌスのキリスト教の弱体化に不満をもった)味方のサボタージュにあって、戦闘の最中に、ひょっとすると味方からの槍傷で命を落とすことになるあたり、光秀の謀反にあって、味方と思っていた部下から攻められ最期を迎えるあたりと似ていなくもない。
 そして、もうひとつ共通するのが、宗教への対応ではないだろうか。ユリアヌスがキリスト教の特権を排除しようとした動きは、比叡山焼き討ちや、一向宗との戦に全力をあげた信長の姿がダブって見えてくるのである。

 で、最後の章。こいつが曲者なんだよなー、という思いにかられずにはいられない。時代背景的には、ユリアヌス亡き後のヴァレンティニアヌス、その副帝のヴァレンス、ヴァレンティニアヌス死亡後、ヴァレンスによって帝国の西半分を任されたテオドシウス、そしてヴァレンスがゴート族との戦いで命を落とした後、テオドシウスが帝国全体を治め、といった、まあ、内乱とその後の帝国統一といったお決まりの構図といえなくもないのだが、その陰に見え隠れして、そこかしこでキリスト教の国教化を進め、教会の力を強めているのが、この章の表題でもある「司教 アンブロシウス」で、こいつが時代の黒幕でっせ、と筆者が耳打ちしてくれているように思えてならない。
 こうした宗教者でありながら時代の黒幕的な人物がでてくるってのは、専制君主の体制によく見られるように思えて、共和制や元首制の時のローマが、なんとなく夏の青空を連想させるに対し、この時代のローマは、どんよりとした梅雨空を連想させるのは、おそらくは、こうした、なんとなく胡散臭いというかくぐもったような支配体制の持つ暗さによるのだろう。そして、ヨーロッパ中世を宗教はリアルを支配した時代と考えれば、中世の始まりというのは、西ローマ帝国滅亡で突然始まったわけではなく、こんな頃から、じわじわと墨が布に染みていくように始まっていたのだなと思い、時代の変化というのは、いつもこうした感じですすむのかな、とも思ってしまうのである。

なにはともあれ、ローマ帝国に限らず、すべての体制における「ぐずぐずとした崩壊」に、思いを馳せてしまう一巻でありました。

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