2007年1月23日火曜日

塩野七生「ローマ人の物語25 賢帝の世紀 中」(新潮文庫)

派手見せはしないが、世間通で、そのくせ働き者のトライアヌス帝の跡継ぎのハドリアヌスの元気盛んな頃が、この25巻。
 
もともとは、昔は有名だったが羽振りが効かなくなった名家で、父の早死のせいで、トライアヌスが代父となったのが、皇帝へ道が開けるもととなっているのだが、そこは働き者のトライアヌス、ハドリアヌスが青年になってからは、行政官やら兵役やら、あれこれ忙しい目をさせているから、あながち幸運ばかりではなくて、やはりハドリアヌスの才も秀でたものがあったのだろう。
 
おまけにトライアヌスの皇后にも気に入られていて、若々しくて(単に若いといったことではなくてエネルギッシュということだろうね)、頭脳明晰で野心家といった人だったらしいから、近くにいると、凡人なら熱気で煽られるか、洗脳されてしまうか、どっちかになってしまうタイプだろう。
途中、皇后サビーナの肖像がでてくるが、どちらかというと控えめそうで、こいつはハドリアヌスと合わないだろうねと、途中読み進めながら思った次第で、やはり夫婦仲はよそよそしかったらしい。
 
で、こういうちょっと派手派手しいのが、トライアヌスがパルティアの反乱平定中に病死するときに、次期皇帝に指名されたってのだから、これは本当にそんな経緯があったのか当時から胡散臭く思われていたらしい。でも、まあ、なんとなく後継者として認められてしまうあたりが、このハドリアヌスって男の才覚というか才能のなせる業なんだろうね。
 

 
とはいっても、皇帝になった直後やらないといけなかったのがパルティア戦役の収束であったし、それにくっつくかのようにやってしまったのが、先帝に仕えていた忠実な4人の将軍の暗殺といったことだったので、最初はあまり人気はなかったらしい。こうした時に、派手好みの人が何をやるかといったら、やはり盛大な贈り物とか減税とかで、案の定、ハドリアヌスも皇帝になったときの一時下賜金の大盤振る舞いやら税の滞納分の帳消や経済的な困窮者への貸付金の創設など、矢継ぎ早に繰り出している。その結果、人気が出るのは、昔も今も変わらなくて、この人気回復が、ハドリアヌスの長い治世の基礎になったのは間違いないだろう。
 
こうした人気のもと、じゃあ、ハドリアヌスが大人しく帝国を治めたかというと、こうした派手好みの人がそんなことになるわけもなく、治世21年のうち、本国ローマにいたのは3回、合計で7年間しかなかった、といった具合である。最初は、ライン地域のゲルマンの反乱あたりで皇帝自らが乗り出したといったのが発端のようだが、次はブリタニア、その後は北アフリカと、まあ腰が座らないというか、出歩き好きというか、活動的で、勢精力的で、やる気にあふれた政治家や実業家によく見るタイプだったんだろうね、と思う。ついでにギリシア文化にとことん惚れ込んでいたらしいから、文化好きの大企業経営者とか知事に、いるような感じがしますねー。
 
でもまあ、21年間にわたって、出ずっぱりながら本国からも目立った不満もでず、帝国も繁栄していたってのは、やはり只者ではない証拠ではあろう。
 
地味めのトライアヌスの後の、派手目のハドリアヌスというのは、さながら、田舎からでてきて苦労して店を大店にした初代の後を、元気の良い二代目がさらに店をでかくしたってな感じで、老舗大企業のサクセスストーリーそのままといった感じなのでありました。

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