2014年10月25日土曜日

「ノキア」ブランド消滅に思う「ブランド力」というもの

日本経済新聞のWebなどによると
 【シリコンバレー=小川義也】米マイクロソフト(MS)は24日、ノキア(フィンランド)から買収した携帯端末事業のうち、主力のスマートフォン(スマホ)のブランドについて、「ノキア ルミア」から「マイクロソフト ルミア」に名称を変更すると発表した。
 近く発表する新製品から切り替える。「フィーチャーフォン」と呼ばれる従来の携帯電話機は「ノキア」ブランドを当面使い続ける(元記事はこちら)
とのこと。マイクロソフトの公式発表ではないから、定かなことではないかもしれないが、買収の頃から名前がいつまで使ってもらえるか、といったことは取りざたされていたから、ああ、その時期が、ついに来たかといったところではある。
「ブランド名の力」ということを考えれば、今回MSが名前を使うのをやめるというのはわからなくもなくて、新技術と世界標準を示していた「ノキア」という「名前」は、すでに「Apple」や「Google」といったブランドに取って代わられているし、普及性という意味では「Samuson」いや「Xaomi」にすら取って代わられている状態なので、昔、携帯の世界標準であった「ノキア」という名前を使うのは「昔は家柄もよく云々」を表していいるだけになっているから、企業戦略としては納得がいくものではある。
一方で、ひと頃は、アメリカなどの超大国ではない、北欧の中小国であるフィンランドを世界ブランドに押し上げ、フィンランドの教育から社会体制まで、ありとあらゆることを日本は見習うべき、といった論調の根拠(例えば「フィンランド豊かさのメソッド (集英社新書 (0453))
」など)になっていたメーカーであり、ブランドでもあるので時代の趨勢の変化というのはなーという思いに駆られないでもない。
ノキアの凋落はスマホ対応やら諸々理由があるだろうから、そこは識者の分析に任せるとして、思うのは、ひとつのブランドにイメージを頼ることの怖さであって、このあたり、Samusungと韓国、ひところのSONYと日本といった構図でもある。もちろん、Nokia,Samusung,SONYの業績が悪くなることは、それほどの規模の企業となれば当然その国の経済に悪影響を与えることは間違いないのだが、それ以上に企業のイメージが色あせるのが、国のイメージが色あせてくるような感じがするのだ。
このへん、ひところのGM,,GEといったイメージから何でもありのイメージとなったアメリカや、もともと企業イメージではなくてChineイメージのみの中国とはかなり異なっているように感じていて、複数のイメージを抱え込んでいくほうがかなりタフな戦略をとれるような気がしているのである。

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