2006年1月15日日曜日

小林紀晴 「ASIA ROAD」(講談社文庫)

デビュー作「ASIAN JAPANESE」の4年後の続編。

旅するときは1995年の夏から翌年の夏までの1年間。東京からバンコクにわたり、タイ、ベトナム、中国、台湾、沖縄、東京とめぐる、ASIAN JAPANESEの旅をなぞるかのような旅である。文章だけでなく、ふんだんに挿入されている写真がよい効果を出している。文書だけでなく、写真を読み取っていく必要のある本である。

1995年夏から1996年夏にかけてに何がおこっていたのか、Wikipediaで調べてみると、1995年は、7月にPHSサービスがはじまり、8月にベトナムがアメリカと国交回復、11月にWindows95が発売されている。7月以前に阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件がおきているから、騒然とした年であったことはまちがいない。芸能的には、安室奈美恵、TRFといた小室ファミリーが大ブレークしていた時だ。1996年は、1月に村山首相退陣、橋本首相の誕生。3月に台湾初めての総統選挙で李登輝氏が当選、7月にアトランタ五輪が開催されている。

こうした世情的には、あまり平穏とはいえない時勢の中で旅をしているのだが、こうした時勢の影響は、ほとんどない。これは、旅をするということが、その地で起こる事件、すなわち、地域と密接に関連性を有することから逃れていくことであるという風に考えれば当然のことだろう。旅して滞在する地は、さまざまに変わっていくから、事件もさまざまに変わっていく。とりわけ、この本の「旅」が地域をまわるという性格のものでなく、自分の内面へ。「地域」をてがかりにしておりていくという性格をもっているからなのかもしれない。

しかし、いくら内面への旅であっても、出会う人、出会う地域によって、内面へおりていくために手繰っていく道筋は変わっていかざるをえないだろう。

「バンコクと張り合えるのはニューヨークぐらいでしょ。ニッポンなんて目じゃないわ」というバンコクの女装している男子学生

「バンコクはタイではあってタイではないんだよ」というタイ人

ラオスの首都(ヴィエンチャン)で「出会う顔は一口でいえば、ゆるんでいた。ふわふわとほほ笑んでいるように穏やかで、とけるようだ。それは、ここが都市ではないということを明確に表している。」

「(あと10年経てば)もっと発展して、ホーチミンはほかの国の都市に劣らない街になっていると思います」と自信をもって言うベトナム人の女学生。

一番ほしいものは「もちろん、お金」、夢は「独立」という言葉が躊躇なく返ってくる上海

といった事象や人に出会うとき、やはり自らと「とうきょう」という都市とのかかわり、「日本」という国とのかかわりに結びつかざるをえない。

また、読みながら感じるのは、「ASIAN JAPANESE」での旅する地とのなにかしらの「連帯感」が希薄になっていることである。


旅をしていながらその地域、話をする人との隔たり感、筆者の孤独感が強くなっているのである。
それはボカラで「コバヤシ、汚くないね。きれいになった」といわれることに象徴されるように4年の年月が地域と人、いや筆者自体を変えているのだろう。



そして、再びの旅の終わりは、こうした言葉でしめくくられている。

「ベトナムで出会った青年は

「十年後には、この街は東京みたいになっている」
と言った。正直、かなわないと思った。少なくとも僕はそんな言葉を持ち合わせてはいない。
十年後、東京ははたして東京であり続けることができるのだろうか」

東京という言葉は「僕」あるいは「私」という言葉に置き換えられるのかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿