2006年1月24日火曜日

働き方のスタイル その2

昨日に引き続き、「働き方のスタイル」についてとりあげよう。
昨日も引き合いに出した、個人投資家の日常は、2006.1.13/20の週刊ポスト誌によれば

「朝は8時15分に起きて、先物取引の「動向や、米国株の状況を確認したりします。
もちろん(楽天証券の取引ツールである)マーケットスピードで、扱っている銘柄の株価情報も見ます。
新聞やテレビは見ませんね。
あとは、9時になったら、注目している銘柄の売り時や買い時を見つけて、取引するだけです。
午前の取引が終了する11時過ぎに遅い朝食をとって、午後も同じように取引をします。
15時を過ぎたら、その日の反省をしますが、16時以降は株のことは考えないようにしています。
テレビゲームもやりません。
近所に散歩に行くくらいですね」

という働き方らしい。
こうして資金160万円を5年で80億円にしてしまったのだから、ほーっとため息をついて羨むしかないのだが、
毎日(当然、日本の証券市場の立たない時は休むのだろうが)9時から4時までの間をほぼ規則正しく、ディスプレイに向かい、情報収集をし、証券売買をしているのだから、ノルマの有り無しを除けば、銀行や証券会社のトレーダーとさほど変わるところはない。
もっと言えば、以前「株屋」と呼ばれていた人たちが、電報や電話でやっていたことをネットという形でやっているわけで、働き方のスタイルとしては、新しく出現というわけでもない。
では、なぜ気になるかというと、普通の若者が職業選択として、こういうワークスタイルを選び、しかも世間も、当たり前のように認めているということ。それは、すなわち、多くの人の心の中で、「会社へ一同に会して行う仕事のやり方」が、倦まれてきていることではなかろうか。

そして、今後、成果主義の果てには、どんどん会社や組織との紐帯が細くなっていくことが予測され、それは、社員が一同に会する、皆がまとまって仕事をする、というワークスタイルを空洞化していく方向へ進んでいくのだろう。
例えば、1月24日のYohoo Newsには、情報産業の雄であった「ライブドア」に勤務先が買収されたため勤務することになったため、その一員となった社員が、

「日常的に、ちょっとした連絡ですらメールでやり取りする社内の風土に、今もなじめない。「あいさつしても相手から返事がなく、言葉を交わすよりパソコン画面に向かう人が多い」。同僚が何を求めているのか真意を読み取れず、ストレスがたまる日々だったという。」

と語っているのが掲載されている。
悲観的に考えると、
この風潮は、ライブドアだけにとまらず、ゆくゆくはかなりの企業の働き方へ及んでくるような予感がする。
(あるいは、管理人が寡聞なだけで、既にかなり及んでいるのかもしれないが)。
ライブドアの会社風土がどうこうというより、ネット社会が要請するワークスタイルは、
フェイス トゥ フェイスの曖昧なやりとり
ではなく、
電子的に記録可能なやりとりを行い、時間と距離を越えたインターフェイスをつくること
であるように思うので、こうした回線で結びついた人間関係が主流になっていく、あるいはネットワークを通じて仕事をするということは、もはや避けられないことのように思える。会社の中の人間関係は、より寒々とギスギスしたものになる可能性が高いし、技術や業務スタイルの伝承など望むべくもない状態が懸念される。
ということだろう。
そこで、である。
このことは、本当に、そんなに悪いことなのだろうか
会社しか安息の場所がない人は別として、家の中で仕事をすることは、机の前から一歩も動くなという実行不可能な規制をしない限り、今より勤務の拘束性を緩めていくだろうし、それは成果主義の進展に伴なって、会社が、生活とないまぜになった仕事の場ではなく、純粋な仕事の場へと変換していくことを示しているのではなかろうか。
また、子供にとっても、家でお父さんやお母さんが仕事をしている。呼ぶと来てくれる、ということが悪かろうはずがないし、地域社会でも、地域に若い層が日中から居るということは、地域社会の様々な活動の面でも喜ばしいことではなかろうか。
くだんのネット投資家は特段地域とのつながりがあるようにも見えないから、まあ普通に解釈するとニートあるいは引きこもりの成功ケースととらえるべきかもしれないが、こうして家で仕事をする、あるいは家を仕事場にする人が増加すれば、今の、家庭と会社を対立構造のもとで考えなくてもよくなるのではなかろうか。
という風に、ネット投資家のお話から在宅でのワークスタイルが日常化してしまう日までを空想してしまう、私なりの「ライブドア騒動の余波」である。

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