とかく「真面目」で、「ひたむきな努力」が賞賛される日本社会なので、物議を醸すネタになってしまうかも、といった印象を抱いてしまう、勝間和代さんの「まじめの罠」(光文社新書)をレビュー。勝間節炸裂、といった印象なのが本書。
ただ、不真面目さの推奨というものではなく
・「真面目」という言葉に錯角を起こしそうな我々の認識
や
・「真面目」=「権威」を無条件で信頼してしまう知的怠惰さ
といったことや、
・「真面目さ」とセットになってしまう「「視野の狭さ」「「思い込みの強さ」
と言ったことに対する警鐘と解釈すべきだろう。それは、筆者が本書の中で何度も引用する、村木厚子氏の事件の前田元検事であり、東北大震災直後から数ヶ月続いた、日本の当時の首相の立ち居振る舞いや行動への批判の舌鋒の鋭さに現れていると思う。
構成は
第1章 「まじめの罠」とは何か、そして、なぜ「まじめの罠」はあなたにとって危険なのか
1ー1 「まじめの罠」とは何か
1ー2 「まじめに生きる人生」は「幸せな人生」か?
第2章 あなたが「まじめの罠」にハマってしまうメカニズムを理解しよう
2ー1 「まじめの罠」を生む外部要因ー日本社会式エコシステムの存在
2ー2 「まじめの罠」を生む内部要因ー「まじめ」に特化したことによる大局観不足
第3章 「まじめの罠」の害毒
3ー1 「まじめの罠」が当事者に与える害毒
3ー2 「まじめの罠」が社会に与える害毒
第4章 「まじめの罠」に対する処方箋
1 失敗を恐れるな
2 問題設定そのものを疑え
3 動物的な勘、身体感覚を養え
4 独立した経済力を持て
5 自分のまじめさや常識を疑え
6 正しい自己認識を持て
となっていて、まず「まじめ」のもたらす悪影響をこれでもかってな感じで折伏してくるのは勝間氏らしい論法
ただ、
「まじめというのは、世の中で決められたコンセンサスのある枠組みの中でしか考えられない、ということで、まじめには限界がある」
や
「パクリのいったいどこが悪いのか。効率良く結果が出ればそれでいいのではないか」
といった主張は、爽快感がある。
何かと閉塞感が続く昨今、「とにかく、枠組みは自分でつくれ」という筆者の口車に乗って、力強く、少しばかりはわがままに生きてみるのが、精神衛生上も、将来の目的に向かって明るく生きるためにもいいかもしれませんね。
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