「仕事が出来る人」と「リーダー」の間にあるもの

2011年8月6日土曜日

リーダー論

t f B! P L
 
 忠臣と呼ばれる人ほどなぜかトップに近づけば近づくほど、リーダーシップを失っていくことが多い。その原因はさまざまであるが、もっとも典型的な落とし穴は、ポジションが上がるこ とによって、自分が注意を払うべきステイクホルダー(利害関係者)の広がりに鈍感になってしまうことである。たとえば、会社組織においては、中間管理職に あるときは、トップの戦略を実現させることが社の発展につながり、自身の栄達につながることは間違いない。しかし、最高幹部に近づけば近づくほど、トップ の顔色だけではなく、中堅幹部や360度で周囲の気持ちをくみ取る力が求められる。 
 つまり、自分の言動がトップに対してだけではなく部下や世間に対しても影響をおよぼすことを自覚しなくてはならない。この意識の切り替えができるか否か が、仕事ができてもリーダーになれる人となれない人の分かれ目となってしまうのである。アユタヤ王朝の国家危機を救ったことで功成り名を遂げた山田長政と いう人物は、おそらく国王の命令を忠実に守る忠臣であったのだろうが、当時のシャムがトップダウン型組織の王国であったことを考えれば、長政は自分が最高 幹部になったときの周囲に対する影響力の変化を推し量ることができなかったのではないだろうか。
 
 
地位があがるから自動的に傲慢になるのではなくて、今までの実績やら仕事のやり方で型ができてしまうことも一因だろう。
さらに、昇進する上では、利害が対立する意見を潰していくことも必須となるから、どうしてもそのときのトップの意に沿った行動をとることが多くなり、実はその過程でトップへの憤懣を抱いている者の意見やトップとは異なるが一つの選択肢であった代案を封殺しがちになる。
その辺の落とし前というか、旧悪の後始末をとらされるのが、忠臣がトップに近づくほど求心力やリーダーシップを失っていく原因であるだろうし、忠臣であればあるほど、自らの思や理念が、「自ら」のものではなく、トップのコピーになってしまうということもあるのではなかろうか。
 
組織内で地歩を固めながら、リーダーを目指したい人は、その時のトップの思考や判断パターンをきちんとトレースすることは必要だが、けして、それに憑依されてはいけない、ということかな。
 

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日本の人口最少県の住人。なりわいは行政書士。読書好き、ガジェット好きの昭和人です。

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