2014年11月16日日曜日

佐々木俊尚「自分でつくるセーフティネット」

人と人との紐帯が弱くなっている現代における、新しい人間関係論。

大きな章立ては

1 セーフティネットは自分でつくる時代 ~ 一生安泰はもう終わり
2 総透明化社会の時代 ~自分を丸見えにすることで得られるもの
3 ゆるいつながりの時代 ~強すぎる「きずな」は「同調圧力」を生み出す
4 見知らぬ人を信頼する時代 ~だからフェイスブックがある
5 「善い人」が生き残る時代 ~嘘がつけないネットでは、善い人も悪い人も丸見え
6 生き方そのものが戦略になる時代 ~善悪は宗教や道徳を超える

となっていて、筆者とほぼ同じ時代背景で働き、そして「強いつながり」に時に息が苦しくなったり、それの中にあることに安心したりしてきて、いまだに組織の「中」にいる身としては、同感したり、首を傾げたり、の双方あるところ

例えば

「見てくれる人は見てる」っていう台詞は、終身雇用の家族的な会社では殺し文句

論路的には正しくて反論できなくても、心の中の感情はそれに反応してしまう。そういう時に、上司とか先輩が情けをかけてくれることで、「理には負けたけれども、情けで救ってもらった」と安心することができた。そういう「理」と「情」の二重底で、社会はうまく動いていたと思うんですよ。
日本には「情の世界」がとても乏しくなっています。会社の終身雇用がだんだん崩壊してきて、若い人が非正規雇用に追いやられて「情」を維持することができなくなっています(P6)

というあたりには、ぽんと膝を打ちたくなるし

昭和の時代は「会社」という枠組みがとても堅かった。会社だけでなく、商店街なら商店街振興組合とか自営業の人の世界にも堅い団結のようなものがあった(メーカーの系列とか)
会社とか組合は「箱」のようなもの
みんながきちんとそこに収まって、外の世界と隔てられて安心できる収納箱のようなもの。会社のほうも安心できる仕組みをたくさんつくって「ほら、うちの箱はこんなに丈夫ですよ」みたいなことを競っていた(P27)

というところでは、バブル時代のやけに躁状態であった社会を思い出す。

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