2018年6月29日金曜日

「期待しないこと」で心の安定を保つ方法もある

 人事とか、上司の判断などに左右される物事で一喜一憂するのがサラリーマンというもの。こうした物事の特性は、相手方が判断のイニシアティブを持っていて、自分の方はその結果をひたすら待つという状況にあることで、事の成否もこちらの思うようにならないというところにある。

 

こうした物事はできれば、事の成否は考えず、心穏やかに、努力を続けられ、事が成らなかった時にも平静でいる、なんていうことができればいいのだが、そんなことは、聖人君子のみが為せる業で、大方の人は、発表までそわそわして、ダメな時は「やけ酒」といったことが多いのではなかろうか。

 

いっそ、そんなことで悩むよりもフリーランスに、という声もあるのだが、そう容易く思いきれないのが、現実であろう。

 

で、ここで、心を安定させて仕事をする一方法として提案しておくのは、それを決める権限をもっている方々に対する「期待値を下げておく」というもの。

自分では一所懸命努力し、実績をあげていると思うのだが、これがわからないのは、時代に恵まれないからか・・、といったような、自分を貶めない「諦観」を持つこと。

 

つまりは、期待するから、うまくいかなかった時の落胆も大きいのだから、はじめから「彼らにはわかんないかもしれないね」といった精神的な退避路をつくっておくということで、いわば、「自分で決められないことは、思い悩まない」という大原則の、他人を悪者にする応用形でありますな。

 

まあ、「自分で決められないこと」にあれこれ悩んで「精神的なパワー」を浪費するのが一番良くないと思うわけあります。

2018年6月28日木曜日

ニュータイプの「ジェネラリスト」を求める時代がやってきたかもしれない

 大塚英樹「続く会社、続かない会社はNo.2で決まる」(講談社+α新書)で、

 
プロフェッショナルを育てることを人材育成の要とした(コクドの)堤(義明)は、社員に同じ仕事を長いこと続けさせていた。
(略)
こういうやり方をすれば、確かにエクスパティーズ(専門性)のある人材は育つ。しかし、その反面、「職人」と化すために視野が狭められ、自分の担当以外の他部門のことが理解できなくなってしまう。マネジメントの限界が出てくる。
職人の徒弟制度の下では、プロフェッショナルは育つ。しかし、アイデアとアイデアを結びつけた新しいアイデアを創造することはできない(P99)
 
と言った記述があったのだが、BusinessInsiderのサイトでも「専門性を磨くことが足かせに?今注目のシンセサイザー人材とは何か」と題して
 
・今まで専門家によって多くの問題が解決されてきたが、21世紀の問題はより複雑化しているので、既存の専門性だけで解決するのが困難になっている。
・ところが、何か一つの分野を極めた専門家ほど、積み重ねてきた経験からくるアドバイス(偏見)が邪魔をして「分野外」の物事をフェアに判断できないことがある
・これからは、3つ程度の専門性を持ちつつ、ジェネラリストとしての側面を持った人物、シンセサイザー型人材が求められる
 
と、シリコンバレーの教育テクノロジー事業を調査している、橋本智恵さんがレポートしていることあたりを読んで、これからのビジネスマンの方向性として、再び「ジェネラリスト」が評価されるサイクルになってきたのかな、と思えてきた。
 
当方が思うに、ここ数年来、専門家、その道のプロフェッショナルが偏愛される時代が続いていると思っていて、それは、旧来の権威や価値観が崩れ、いろんなものが不確かな状況になる中、「専門性」という核を自分の中に持つことによって、存在意義を確かなものにしようとする現れでもあり、また、雇用情勢が厳しくなる中で、他人に崩せない「聖域」として「専門性」を持って、自己防衛を図ろうとする処世術でもある。
 
ただ、ここに至って、AIの出現や普及によって、「専門性」「プロフェッショナルな知識」が代替可能なものになってきているというのが、今までの「専門家志向」が揺らいでいるのは間違いない。
 
で、引き続き「専門家」「プロフェッショナル」を目指してもいいのだが、自分は浮気性で、飽きっぽいからねーと思っている人は、新しいタイプの「ジェネラリスト」目指すのもあり、と思う。
 
ニュータイプというのは、前述の「センセサイザー」型や「「越境」という言葉に象徴されるように、複数の分野で、そこそこの知識と興味をもっていて、それを使って物事をまとめあげる、コーディネートすることを楽しめる人材、であろう。
そして大事なのは、「そこそこの」というのが肝心で、一つの分野に、心身とものめり込む、のではなく、等距離に興味と労力をつぎ込む、というバランス感覚が必要と思うんですな。
 
とかく「専門家」となるとあれこれ拘りがあって、複雑な問題になればなるほど、角突き合わすところが増えるし、タコツボ化するところも増えるもの。さらにこれにAiによる専門性の代替が絡んでくると、さらに様相は複雑になる。間とスキマを埋める何かが必要になってくるのは、時代の要請なのかもしれんですね。
 

2018年6月25日月曜日

鳥取県米子市「長浜ラーメン 博多屋」で「ラーメン」を食す

ブックオフに行ったついでに、近くの「長浜ラーメン 博多屋」で夕食をとることにする。

米子には結構ラーメン屋は多いのだが、福岡の系統のラーメン屋はあまり見ない。ここも地域性があるのだろうか。十数年前は、Airの米子〜福岡便もあったぐらいであるし、境港の船員さんのつながりもあったと聞くが、時代の流れというものであろうか。

注文したのは、長浜ラーメンと餃子。

本場の長浜ラーメンは地元衆の行く店は、結構、獣臭があって、外来者には辛いものなのだが、流石に福岡から遠く山陰で出店しているだけあって、ほどほどの獣臭におさえてある。この塩梅が重要で、単純な豚骨では「長浜」と謳っている甲斐がないというものである。

本日は替え玉もせず、控えめに過ごしました。

2018年6月24日日曜日

迷った時は「正しい答え」ではなく「正しい問い」を見つけることが大事

 人生の方向性に悩むことは誰しもあることなのだが、そのときに闇雲に「正しい答え」を見つけようとしがちなのだが、ちょっ冷静になって、まず「質問」を正しくすることから始めたほうがよい時がある。

 
例えば、給料が安くて不満がある時、解消したいと思っているのは、「収入の少なさ」なのか、「給料が安い仕事についていること」であるのか、きちんと自分の不満を分析して対処方法を考えないといけない。
前者であれば、アルバイトや副業、あるいは今の仕事のスキルアップといったように今の仕事を軸に据えたことを考えるべきで、後者のほうであれば、転職といった方向を考えるべき、といった風に「質問」によって答えが大きく変わってくるのである。
 
特に進路の悩みや仕事の不安は、解消したいこと、不満なことの本当のところがぼんやりしたままで「答え探し」ひいては「自分探し」に行きがちであるので、ここはぐっと堪えて、まず「〇〇をするのはどうしたらいいのか」の〇〇をきちんと分析したほうがいい。
 
「道」が違えば、登る先の「頂上」も違うのは当然のこと。まず登りたい「頂上」はどこか、をクリアにしたほうがよい、ということですね。

2018年6月23日土曜日

鳥取県米子市 「ひの木家」で「割子蕎麦」を食す

本日は夜まで仕事があるので、スキマを狙って昼食。蕎麦屋「ひの木家」の本店は米子市の淀江のほうにあって、当方のアパートからは少々遠いのだが、近くに支店があるので、そちらで久々に「出雲風」のそばを食す。

「出雲風」ということであるので、「ざるそば」とか「かけそば」ではなく当然「割子」である。とはいうものの凝った食し方をするのではなく、一皿ごとに蕎麦だし、わさびを入れて食す。余った出汁は、次の皿に移して、最後は「そば湯」にいれて、という形で無駄なく食すのが決まり(と勝手に決めている)

こういうオーソドクスな蕎麦もよろしいですな





2018年6月19日火曜日

「波乗りの戦略思考」が「山登りの戦略思考」を駆逐できない理由

田坂広志氏の「まず戦略思考を変えよ」 を読んで戦略思考には方向性の異なる二つの流派があるのではないか、と思いついた


=「山登りの戦略思考」と「波乗りの戦略思考」=

 
先だっての田坂広志氏の「まず戦略思考を変えよ」で、
 
「山登り」の戦略思考とはどのようなものでしょうか?  それは、あたかも「山登り」をするときのように、登るべき山の周辺の「地図」を広げ、その山に登るための最適の「道筋」を定めるといった発想の戦略思考のこと
 
すなわち、
①山登りをするときのように登るべき山の「頂上」(経営目標)を見定め、
②現在立っている地点からその頂上までの「地形」(経営環境)を地図で調べ、
③その頂上に登っていくのに最適の「道筋」(経営戦略)を考える
といった思考のスタイル
 
という「山登りの戦略思考」と
 
①波乗りによって向かうべき方向を定める(ゆるやかなビジョンを描く) ② 乗っている波の刻々の変化を感じとる(環境変化を刻々に把握する)   ③刻々の波の変化に合わせて瞬時に体勢を変化させる(経営戦略を迅速に修正する)
④波と一体となってめざすべき方向に向かっていく(経営戦略を柔軟に実現する) といった戦略思考のスタイル
すなわち、「波乗り」の戦略思考とは、「偶然性」というものを積極的に活用しようとする戦略思考。市場の環境変化や企業の意思決定にともなう「偶然性」というものを否定的に受けとめ、排除しようとするのではなく、肯定的に受けとめ、活用しようとする戦略思考
という「波乗りの戦略思考」を紹介した。(戦略思考の定義については「まず戦略思考を変えよ」からの引用)
「まず戦略思考を・・」の著者の田坂氏は、経営環境がどんどん変わる時代(業界のMAPPINGがどんどん変わる時代)には、「山登りの戦略思考」ではなく、「波乗りの戦略思考」に切り替えるべきだと主張されているのだが、当方的に思うのは、」まだまだ「山登りの戦略思考」のほうが日本の組織では、「方法論」として優勢をしめているように思う。
 

=なぜ「波乗りの戦略思考」は劣勢なのか=

 
その原因は、おそらくは、
 
①「変化に合わせた即座の修正」 
②「偶然性の容認」
という二つのことがネックになっているように思う。
まず一番目の「変化に合わせた即座の修正」という点でいうと、リーダーがワンマン的な統制をしている、極度なトップダウンの組織を除いて、一度決定した「組織決定」を変えていくのは、通常の日本的な組織では容易ではない。
 
もともと「組織決定」自体が、組織の大方の構成員の「同意」「合意」のもとに成り立ったものなので、変更しようとすれば、大方の構成員による承認がいるのである。
 
 
次の「偶然性の容認」ということでは、即座の変更が可能な「ワンマン的な組織」ほどそれが容認できない。というのも、「偶然」を認めるということは、リーダーが示した方向性が、大した原因もなく、突然に揺らぐ、ということを示しているからである。なので、方向性を変えるべき事態が起きても、それは、「想定外」で「未曾有」のことなので、方向性を変えるほど頻発する出来事ではない、と思い込もうとする心理が働くのではないだろうか。
 

=とりあえずの処方箋=

 
こうしてみると、「山登り」から「波乗り」へ方向転換していくのは、そんなに簡単ではない気がしてくるのだが、では「山登り」の方法の継続でよいかとなると、環境が刻々と激変する情勢下では、それも上策とは思えない。
では、ということで、当方としては
①「山登り」の戦略の緻密度・精密度を落として、粗い仕上げにしておく。
②粗い戦略に基づいた戦術のチェックを頻繁にやり、PDCAではなく、D(ドゥ)→C(チェック)、D(ドゥ)→C(チェック)を回転をあげて行い、微修正を積み上げる。
③これにあわせて「組織決定」も決定に関与するメンバーの数を減らすと共に、「決定」自体の「粒度」を小さくする仕組みに変えていく。
というやり方がベターではないか、と思っている次第。
 
もともと、「波乗りの戦略思考」のやり方は、旧来からの組織にとっては不安を感じさせるものには間違いなく、これも普及を阻害している要因でもある。「山登り」を簡略化・変形させていって「波乗り」に近づけていくやり方が、日本的組織のメンタリティーに合っているように思うのだが、いかがであろうか。

2018年6月18日月曜日

鳥取県米子市「丸源ラーメン」で「肉そば+チャーハンセット」を食す

本日は全国チェーンである「丸源ラーメン」で夕食。
梅雨の合間で、気温も高い日なのだが、あえて熱い「ラーメン」を選択。



注文したのは、肉そばとチャーハンのセット。チャーハンは当初、こんな形状。



鉄板の上にチャーハンが載っていて、そこに店員さんが溶いた玉子をかけまわしてくれる。薄皮の卵焼きができた状態で、自分でかき混ぜてチャーハンを完成させる。鉄板はかなり熱いので火傷に注意である。




「肉そば」はこんな風。具は、薄切り豚肉、メンマ、もやし。麺は細麺。
そして、オレンジ色の物体は「ゆずおろし」である。テーブルの上を見ると、この肉そばの「4つの食べ方」が書いてあるものがセットされているのだが、要約すると「素→ラー油→にんにく→酢」の順番で投入して、食味を変えながら食せ、ということであるらしい。

当方は、「にんにく」のところで食べきってしまいました。


2018年6月17日日曜日

キュウリとトマトに添え木をあてた

最近ちょっと忙しくなってきて、休日も実家に帰省することが少なくなっている状況で、家庭菜園の世話もままならない。

梅雨の降雨の恵みで雑草もすくすく育ってきているのだが、その始末もできない状況である。
ということで、本日は添え木をあてるところまでで精一杯。本来なら、トマトの脇芽を取ったりしないといけないのだが、緊急措置だけ。



すき家の「うな牛弁当」を食す

土用の丑の日は、もう少し先のことなのだが、思い立ったときに食しておかないといつも食いそびれてしまうので、本日は、早めの「丑の日」。

店内で食してもよいのだが、午後の日程がきちきちで組まれているので、テイクアウトの弁当をチョイス。「牛」と「うなぎ」のセットというのは、「カレー」と「牛」のセットを生み出した「すき家」以外ではでてこないアイデアであるな、と妙に感心する。

最近、鰻の入手難で、価格高騰はもちろんのこと、中元商品でも「うなぎ」ではなく「どじょう」や「穴子」。はては、古来に帰って「餅」で「土用の丑の日」の精力をつけよう、といったお中元キャンペーンも登場しているらしい。ただ、うなぎ資源の枯渇はとどまらないらしく、代用鰻もまた資源枯渇の恐れがあるらしく、日本人はじめ「人」の食欲は底が知れないことを証明している。ここは、源内先生に知恵を拝借したい所ですな


リモートワークでも2メートル以内のコミュニケーションの重要性

 ASCII.JPで「組織を腐らせる「ダメリモートワーク」」と題して、プラネットウェイ社のリモートワークでの失敗と公然方法がリモートされている。

要点は

・社員はお互い一度も会ったことのない人がほとんどで、リモートワークが中心。

・こういう組織で、会社の方針を理解させないまま、外注と同じ感覚で人を雇っていくと組織が腐っていく

・このため、社員全員を勤務地とは違う国につれていき、会社のビジョンを共有させる1週間程度かかる研修を、1000万規模の予算をかけて行っている。

というもの。

リモートワークが中心の会社で、フェイス・トゥ・フェイスで社のビジョンを検討・確認し合う研修の効用が言われるのも面白いのだが、これは、「強いチームはオフィスを捨てる: 37シグナルズが考える「働き方革命」」でも

リモートワークをしていると、気づかないうちに孤独に陥っていることが多い。表面的には、たくさんの人と一緒にいるような気がするからだ。

メールはどんどんやってくるし、同僚とはチャットで雑談ができる。ネット上ではさまざまな議論が白熱している。でも、それらはやはり、バーチャルだ。本当に人とふれあうことの代わりにはならない

というくだりがあって、人と人とが直に接する機会というものは、「ヒト」が集団生活を営む生物である以上必然的に必要となるものであるようだ。さらに、この「接する機会」というものは、プラネットウェイ社の例をみれば、単に距離的に近くいるということではなく、心理的に「近くいる」ということが必要のようだ。

そして、これはオフィスワークでも共通するようで、ちょうど今、読んでいる「鉄客商売 JR九州大躍進の極意」でも、国鉄バスの労務環境を改善したコツとして「二メートル以内で語り合うとその人の本質が伝わってくる」というところがある。これは、筆者が旧国鉄時代に労使対立の厳しい国鉄バスの職場で、朝の挨拶を繰り返すことで、拒絶されていた職場に受け入れられるようになった経験を披瀝したものなのだが、やはり、近い距離でコミュニケーションをとろうと何度も試みたことが、対立の厳しい「荒んだ職場」で人間関係を構築できた要因であるようだ。

勢力が拡大していくにつれ、自然と戦闘の範囲や守るべき範囲が拡大していって、物理的に会う機会が減っていき、その結果、段々と気持ちや意思が離れていき、ついには分断してしまった例は歴史上数限りない。かといって、一箇所にまとまって勤務していては、情報が偏って大企業病に陥る例もまた、枚挙に暇ない。

「オフィスワーク」でも「リモートワーク」でも、いかに「2メートルの範囲」で意思疎通をする状況をつくることができるか。そこがコミュニケーションをよくして、靭やかで強靭な組織をつくるコツの一つであるように思いますね。

2018年6月16日土曜日

世界のやまちゃんの「手羽先」と宮城・利休の「牛タン弁当」

最近はスケジュールがベタ押しで、週末に洗濯物を夜持って帰って、次の日にまた単身赴任先へといったことが続いているので、罪滅ぼしをあって、実家にお土産を兼ねて、世界のやまちゃんの「手羽先」と宮城・利休「牛タン弁当」を持ち帰り。

「手羽先」は、一口で食してしまう名古屋人の特技が時折TVで放映されるのだが、辺境の山陰人である当方は、手羽先と手羽元を分離し、まず手羽先の齧り、おもむろに手羽元の肉を食す、というオーソドクスな食べ方が一番落ち着くのである。



「牛タン弁当」は、昨年、宮城県に出張した折に食して、美味であることは証明済みのもの。今回、米子のデパートの催し物で臨時出店されていたのをTVで見て思わず購入。当方的には1620円/個と、少々高価めなので、大量には購入できないのが庶民の辛い所である。



境港の本マグロを食す

冷凍ではなく、地物であがる境港の「本マグロ」がシーズンを迎えている。

今年は結構大漁ということで、お値段も下がり気味なのだが、大トロ、中トロは流石に手が出ない。
庶民はつましく、「トロ」や「中落ち」のところを食しておきましょう。
そうであっても、「旬」のものは美味いですね


2018年6月15日金曜日

鳥取県大山町「大山寺」の御朱印帳

イベントで大山寺まで登る機会があったので、せっかくなので、御朱印帳を入手。

今年は開山1300年祭ということで、境港の弓浜絣を使った特別版の御朱印帳も作成されているのだが、残念ながら、現在は売り切れで追加作成中とのこと。
なので、通常版をいただく。



御朱印の地蔵尊は、ここの御本尊。1300年の文字も見えますな。


源吉兆庵の「金魚」

源吉兆庵は、風情のあるお菓子を、庶民が少し背伸びすれば入手できるお値段で提供しているのだが、縁あって、夏のお菓子「金魚」が手元にやってきた。


5個入りで、布でできた金魚鉢にいれてあるという凝ったつくり


お菓子本体も、金魚2匹が水中をゆらゆらしているような風情のあるお菓子でありました


スマートスピーカーの進化は、「火星年代記」の「優しく雨ぞ降りしきる」の世界を思い起こさせた

 GizmodeでIKEAのスマートスピーカー「SYMFONISK」のプロトタイプの記事が掲載されていた。


IKEA☓Sonos初のプロダクトは、家具に溶け込むスマートスピーカーでした。


プロトタイプということで、まだ完成されたデザインではないものの、いずれもIKEAらしい、インテリアとしての洗練を目指す方向であるようだ。


当方も、Amazon EhoやEufy Genieを使っているのだが、デザイン的には部屋の中に溶け込むという感じではないので、こういう方向性は大歓迎。中でも注目すべきなのは、キッチンのキャビネットに取り付ける形式も提案されていることであろう。


この方向へと進んでいくと、今は単体で機能している、冷蔵庫やエアコンなどのスマートホーム的な機能が、スマートスピーカーを中心に結ばれ、「声」で家中の家電を始めとした機能が操作できる上に、そうした機能を持っていることを全く意識させない「家」が誕生するのだろうが、この家の中には「ヒト」の気配がなんとも希薄で、レイ・ブラッドベリの「火星年代記」の「優しく雨ぞ降りしきる」に出てくる家を思い起こさせた。


「優しく雨ぞ振りしきる」の話自体は、火星から人類が引き上げた後、火星に残された「スマートハウス」の話で、住人がいなくなっても、時間が来ると、朝食をつくろうとし、家の掃除をし、葉巻に火をつけて用意し、といった行動を続けるというものである。最後は、キッチンからでた家事で家は焼け落ちるが、応答する機能は生き残っていて、朝になると住人を起床させようと朝のアナウンスを始め・・・、といった筋立てである。


「声」を軸にしたスマートハウスは、スマートスピーカーの登場と進化によって、このブラッドベリが描く「家」よりももっと手軽な感じで実用化するのであろうが、その時、「人」と「物」の関係ではなく、服をきているかのようなウェアラブルな方向に進化してほしいな、と思う次第。


今、スマホなどの普及は凄まじいが、未だに「モノ」を操作しているという感覚から抜けきることができない。これがスマートスピーカーを通じた「スマートハウス」化によって、家電の操作だけでなく、ネットからの様々な情報の入手やあるいは本を読むと言った行為も、「声」「音」によって身にまとうことができるようになる。生活感の滲む「スマートハウス」が実現できると嬉しいですな。

2018年6月12日火曜日

「心配性のビジネスマン」に向けたストレスフリーの仕事術のポイント

 ビジネスマンには、楽天的なのと、心配性なのと二種類あるのだが、真面目に仕事をしている割に、突然のトラブル(と「突然」とはいうが、これが必ず起こるんだよね)に対応で消耗したり、あちこちが気になって完全主義に陥って疲弊してしまって、楽天的なビジネスマンに比べてどうも割を食ってしまうのが、「心配性」のビジネスマンであろう。そんな「心配性」たちがストレス少なく、仕事を進めるポイントをあげてみる。

 

【心配性と楽天家、どっちがビジネスに向いている?】

 

まず、その前に「心配性」のビジネスマンと「楽天家」のビジネスマンを比較してみよう。

パーソナル面から言うと、「心配性」の人は、いつも仕事のことが気になりがちで、完璧に詰めたがる傾向があるから、仕事時間も増えてしまうことが多い。家庭や家族のことを考えると、長時間労働の原因になりがちな「取越苦労」は避けたいところですな。

 


一方で、管理職からみると、部下が楽天家である場合は、ちょっとひるんでしまうような仕事も前に出てやってくれるので、突破力の面では頼もしいのだが、細部の詰めとなると結構危ういままになっていることが多い。時によっては、どんでん返しの憂き目に会うこともあるので、結構、注意が必要になるのも事実ですね。


 

他方、「心配性」のビジネスマンの場合は、着火するのに時間がかかるし、着火してもまだ火が小さい場合は下手をすると、「石橋を叩いてかえって、石橋を・・」のとおり、自分で火を消してしまういそうになることもあるから、プロジェクトの始めは要注意である。ただ。一旦、着火すると火を消さないようにするベクトルは、楽天家の比ではないし、物事をきちんと詰めるのはまちがいないので、任せておいても大丈夫なことが多い。

 

総じて、離陸のときや離陸直後は「楽天家」、離陸して水平飛行に移るまでは「心配性」。水平飛行になったら、「心配性」のほうが安心、ということで、ベンチャーのようなビジネスを除けば、「心配性」のビジネスマンのほうが安心度は高い。

 

【心配性のビジネスマンがストレスを軽減するポイント】

 

とはいうものの、当人にとっては任されるプロジェクトが得体がしれないほど、また大きければ大きいほど、精神状態が常ならぬことは確か。

ということで、ストレスフリーに仕事に取り組むポイントをピックアップしてみた。

 

1 一手先の方向性の準備までで、シミュレーションをやめておく

 

あれこれといろんな事態を想定したシミュレーションをするのだが、いつも起きるのはそれ以外のこと、というのが「心配性」たちが見舞われる事態。もともと、未来のことは予測不可能。すべての事態への対応を細かに考えておくことなんてできるわけがない。

ここは、可能性の高い事態(天候だとか、ドタキャンだとか)のうちで最悪と思われるものへの対応方向と事前準備の大事なところを決めておくぐらいにしよう。

 

2 わざと空白の部分をつくっておく

 

準備をしておくにしろ、最後の最後のところまで詰めて対応を準備をしようとすると、膨大な作業と時間が必要になる。さらには想定どおりの展開になることは少ない。ここは大まかに持っていきたい方向を考えておいて、そこに至る周辺のところは、その場・その時にまかせて、あえて「空白」にしておくのも有効な方法。

 

3 部下や同僚に任せた仕事の行方を思い悩まない。

 

「心配性」の「心配」の多くは、自分で手に染めていることではなくて、他人に任せたことの進捗とか出来具合の事が多い。

プロジェクトの肝心のところは自分できっちり管理して、後は他の人に任せるという方法をとっておけば、他人に任せた仕事の出来に迷わされることは少なくなる。

もっとも、「心配性」はほとんど全てを「肝心なこと」と思いがちなので、そこは要注意ではあるけどね。

  

【〆のアドバイス】

 

「心配性」たちは、準備が万端だろうか、抜かりはないか、後々まで気になるもの。ただ、どこまでやっても「万全」という状況は訪れない。

どこかからは、神様仏様の領分と下駄を預けておきましょう。

2018年6月11日月曜日

出遅れプロジェクトを突然担当する事になった時の「キレのよい」対応ポイント3つ

どこの会社の社内でもかならず、重要と思われているのだが、焦げ付いて先行きが見えないプロジェクトがあるはず。

そしてサラリーマンなら、突然、「君を見込んで・・・」と、それを担当させられて途方にくれそうになることも・・・。

そんなときに、おさえておくべきポイントを3つ整理してみた。

 

1 すぐに処方箋や対応案を出そうと焦らない。

 

 とかく、こういうときは早く成果を出そうとしたり、少なくとも目処をつけようとあせりがちになる。しかし、遅れるには遅れるだけの原因があるはず、まず。なぜ遅れているかの分析がまず先決。

 

 特に内部要因か外部要因かを探る事が大事で、外部に強大なライバルがいるようであれば、そこを攻略できるかどうか、あるいは方向を転じてブルーオーシャンを目指したほうがいいのか、ということになるし、内部に抵抗勢力がいるようであれば、社内政治でそこをなんとかするのが先決になる。

 

敵が外か内かで戦術が全く違ってくるので要注意である。

  

2 人員や予算の多い少ないは言わず、集中投資するところを探り出す

 

 さらに、こうした場合、配置される人員数や能力、予算の不足に目が向いがちで、その不足を埋めることが大事なことをあちこちに声高に喋ってしまいがちなのだが、これはお薦めしない。

 

ある程度、社内で認知されている中規模以上のプロジェクトであれば、一定程度の人員や予算はすでに措置されているはず。最初から不足を言い立てると、他の部署やあるいは上層部からの余計な反発を招いてしまう恐れが高い。

 

 ここはぐっと堪えて、小さくていいので、成果が目に見えてアピールできる所に、持っている資源を集中投資していこう。もともと期待されていたpロジェクトであれば、小さなものでも動き始めれば社内から注目を取り戻し始める。

 

注目を取り戻す初めたところで、陣容の充実を図っていこう。


3 歩いて情報を集めて、戦略を点検して改善する

 

そもそも、焦げついたプロジェクトになる原因の一つに、頭でっかちの情報で動いた結果、ということが多い。情勢分析が地に足がついていないから、打つ手が空回りしてしまうのである。

すべて自らが動いて情報を集めて回る必要なないが、かならず現地現物にあたらせて情報を集めることが大事である。

 

そうして収集した情報を使って、今までの戦略・戦術の改善をやろう。得てして新しく担当すると、今までの戦略・戦術をご破産にして、全く新規に始めがちなのだが、そうすると先に担当していた部下や同僚の反感を招いて、折角の新規戦略が浸透するの時間がかかってしまう。

 

同じ人間の考えることだから、全くダメな戦略・戦術はそんなにない。多くは掘り下げがほんの少し足りなかったり、ターゲットや時期が少しズレていたり、といったことが多いはず。

 

まずは「小修繕」から始めよう。

  

〆のアドバイス

 

とにかく焦らないこと。山で遭難する時と同じで動き回って、予算や人員・時間を消耗するのが一番いけない。


出遅れプロジェクトや焦げ付き案件を担当させられるということは、周囲が頼りにしていることは間違いない。「現地現物」を基本にして、冷静に戦略・戦術を練ること。健闘を祈ります。

2018年6月10日日曜日

鳥取県米子市「新宝楽」で「チャーシュー麺」を食す

休日ではあるが、午前、午後とも仕事。合間をぬって「新宝楽」というビルの谷間にひっそりとあるラーメン店に入店。

口数の少ないご主人一人で切り盛りしているらしい。店の中の様子は、角っこにテレビ、下に漫画本。メニューは紙に書いたものを壁に貼ってあるという、「昔ながらのラーメン屋」という風情。
注文したのはチャーシュー麺、750円。

ラーメンは昔ながらの黄色い中太のストレート麺。具は、チャーシュー、海苔、葱、もやし、メンマというオーソドクスなもの。スープは、最近、県西部でもちょくちょく見かける「牛骨味」の透明なスープであります。

田舎のラーメン屋の風情にしばしひたりました。

2018年6月9日土曜日

鳥取県鳥取市「とんから亭」で「みそかつ」を食す

本日は奥さんが仕事なので、娘と昼食。オヤジとつきあってくれる、娘に感謝!である。

なので、お店は、娘の注文に否応なく従う。今日は、「とんから亭」とカツとからあげの店である。あまり若い娘の志向する店でもないような気がするが、ここは何も言わないことにする。オシャレな店に連れて行かれると、かえって困るという打算も働くのである。

当方は、「味噌カツ」の定食をチョイス。味噌カツは名古屋当たりの名物であるが、山陰のような遠く離れたところで、全国チェーンとはいえ市民権を得ているのは、情報環境が全国共通になっている所以であろうか。

カツを食う時はこれを常食とせよ、と言われるとちょっと困るのだが、たまに濃い味はほしい時は、これぐらいの濃さがよろしいですな


2018年6月4日月曜日

再び「歴史性のもつ神秘さ」が求められる時代がやってきたのではないか

 ここのところ、鳥取県の「大山」(「だいせん」と読みますな)というところの行事やイベントに関わっている。

今年は、ここの中腹にあるお寺が1300年前にできたという伝承があって、歴史とアウトドアの二色のイベントが、多く開催されるのだが、今の次点で思うのは、「歴史」とか「神秘」(宗教的な部分も含むよね)という色彩が強いもののほうが評判が良いような気がしている。
もちろん、「歴史イベント」と「アウトドア・イベント」「スポーツ・イベント」では、好む層がかなり違うのは間違いないのだが、双方のコアなファン以外の、いわば浮動層とでもいえるところは、どちらかといえば「歴史」を好み始めたような気がしている。
 
その潮流は、全国的な傾向でもある。例えば「御朱印帳」であったり「刀剣女子」「歴女」といった女性が主導するブームに乗っかっていると思うのだが、その背景にあるのは、仕事の側面は別として、グローバリスムや効率主義で「フラット」になってしまった自分たちの生活に、なにかしら今までとは違う色合いを、多くの人が求め始めている証左ではないだろうか。
 
世界の「フラット化」は確かに生活や労働の無駄をなくし、すべてを明らかにくっきりとしてくれはしたが、「無駄」の中に混在していた、「暗闇の中にある休息感」とか「混沌の中にある安心」とかの、黄昏のような世界もなくしてしまった。そして、それは私達に、白昼に素っ裸で広場に立っているような居心地の悪さを感じさせ、黄昏時の薄暗がりの中に、何かに包まれる安堵感を求めさせているように思うのである。

2018年6月2日土曜日

大山・夏山開きの「たいまつ行列」とその後の吉野家「牛丼アタマ」

今年は大山1300年祭ということで、例年にも増して賑わった夏山開き前夜祭の「たいまつ行列」。一見すると古来から伝わる「火祭り」かと思うのだが、実は、登山をする人たちが暗がりを照らすために、松明をつけて山道や参道を歩いた、という結構、散文的ないわれである。


行列は勇壮なものであるので松明を持って歩いていると結構満足なのだが、望むらくは、もう少し、神秘というか、伝統行事とおうか、おごそかなしつらえを加えてほしいな、というところ。

出発のときには、夏山の安全を祈願する神事が開かれるので、松明行列の終点の博労座駐車場で、〆の神事があると厳かな雰囲気のまま終われるのだがな、と思う次第である。関係者の皆様、ぜひ御検討願えませんでしょうか。

終了後は、博労座駐車場に屋台も出ているのだが、連れもいたので、早々と下山。
米子に帰っての遅い夕食は、散文的に「吉野家」。牛丼のアタマ(牛肉だけ大盛り)+味噌汁+お新香を注文。定番のファストフードは有り難いものですな


2018年6月1日金曜日

鳥取県米子市「餃子の王将」で「中華丼+ラーメン」を食す

当方は、時折、炭水化物ジャンキーになる誘惑にかられることが定期的にあって、そんな時は、ご飯物の丼と麺類の組み合わせが無性に食したくなる。
しかも、「セットメニュー」という世の中に気を使ったメニューではなく、一品の組み合わせが王道であろう。

ということで、中華丼とラーメンの単品を注文。中華丼は野菜が多いから、食べすぎても健康に良いよね、という独りよがりの理屈をこねてみる。

まあ、なんにせよ、とても満腹になりました。



鳥取県米子市 蕎麦店「たかのり」で「ざるうどんと稲荷寿司の昼食セット」を 食す

本日のお昼は、職場の女性陣と一緒に、JR境線近くの「たかのり」へ。ここは営業時間が短くて、夕方には閉店しているので、当方的には「謎の店」であった。
博労町駅のホームから店の横姿が見えるのだが、これも結構怪しい佇まいで、なんとなく来店できなかった店である。

で、その女性陣から美味しくてボリュームがあるので有名ですよ、と誘われたのでついてまいりました。

メニュー的には、「カツカレーうどん」と「ざるうどん」で迷ったのだが、ここは初来店らしく「ざるうどんと稲荷寿司」のランチメニューを注文