ニュータイプの「ジェネラリスト」を求める時代がやってきたかもしれない

2018年6月28日木曜日

仕事術

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 大塚英樹「続く会社、続かない会社はNo.2で決まる」(講談社+α新書)で、

 
プロフェッショナルを育てることを人材育成の要とした(コクドの)堤(義明)は、社員に同じ仕事を長いこと続けさせていた。
(略)
こういうやり方をすれば、確かにエクスパティーズ(専門性)のある人材は育つ。しかし、その反面、「職人」と化すために視野が狭められ、自分の担当以外の他部門のことが理解できなくなってしまう。マネジメントの限界が出てくる。
職人の徒弟制度の下では、プロフェッショナルは育つ。しかし、アイデアとアイデアを結びつけた新しいアイデアを創造することはできない(P99)
 
と言った記述があったのだが、BusinessInsiderのサイトでも「専門性を磨くことが足かせに?今注目のシンセサイザー人材とは何か」と題して
 
・今まで専門家によって多くの問題が解決されてきたが、21世紀の問題はより複雑化しているので、既存の専門性だけで解決するのが困難になっている。
・ところが、何か一つの分野を極めた専門家ほど、積み重ねてきた経験からくるアドバイス(偏見)が邪魔をして「分野外」の物事をフェアに判断できないことがある
・これからは、3つ程度の専門性を持ちつつ、ジェネラリストとしての側面を持った人物、シンセサイザー型人材が求められる
 
と、シリコンバレーの教育テクノロジー事業を調査している、橋本智恵さんがレポートしていることあたりを読んで、これからのビジネスマンの方向性として、再び「ジェネラリスト」が評価されるサイクルになってきたのかな、と思えてきた。
 
当方が思うに、ここ数年来、専門家、その道のプロフェッショナルが偏愛される時代が続いていると思っていて、それは、旧来の権威や価値観が崩れ、いろんなものが不確かな状況になる中、「専門性」という核を自分の中に持つことによって、存在意義を確かなものにしようとする現れでもあり、また、雇用情勢が厳しくなる中で、他人に崩せない「聖域」として「専門性」を持って、自己防衛を図ろうとする処世術でもある。
 
ただ、ここに至って、AIの出現や普及によって、「専門性」「プロフェッショナルな知識」が代替可能なものになってきているというのが、今までの「専門家志向」が揺らいでいるのは間違いない。
 
で、引き続き「専門家」「プロフェッショナル」を目指してもいいのだが、自分は浮気性で、飽きっぽいからねーと思っている人は、新しいタイプの「ジェネラリスト」目指すのもあり、と思う。
 
ニュータイプというのは、前述の「センセサイザー」型や「「越境」という言葉に象徴されるように、複数の分野で、そこそこの知識と興味をもっていて、それを使って物事をまとめあげる、コーディネートすることを楽しめる人材、であろう。
そして大事なのは、「そこそこの」というのが肝心で、一つの分野に、心身とものめり込む、のではなく、等距離に興味と労力をつぎ込む、というバランス感覚が必要と思うんですな。
 
とかく「専門家」となるとあれこれ拘りがあって、複雑な問題になればなるほど、角突き合わすところが増えるし、タコツボ化するところも増えるもの。さらにこれにAiによる専門性の代替が絡んでくると、さらに様相は複雑になる。間とスキマを埋める何かが必要になってくるのは、時代の要請なのかもしれんですね。
 

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日本の人口最少県の住人。なりわいは行政書士。読書好き、ガジェット好きの昭和人です。

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