2012年8月18日土曜日

坂口恭平 「TOKYO 0円ハウス 0円生活」(大和書房)

個人的な見解でいえば、この本が出版された3年後「独立国家のつくりかた」という、かなりの奇書を出す筆者であるが、この「TOKYO 0円ハウス 0円生活」のあたりは、そこに至る種子を包含しつつも、なんとなくまだ穏やかな気がする。

構成は

第1章 総工費0円の家
第2章 0円生活の方法
第3章 ブルーの家
第4章 建築しない建築
第5章 路上の家の調査
第6章 理想の家の探求

となっていて第1章から第3章までは、隅田川の川沿いに住む「鈴木さん」という、ホームレス、いや非合法であっても「家」はあるから、ホームレスと言う言葉はふさわしくないのだろうが、まあ、そういった形の生活者との出会いと、彼らとの共同ではないが非常に近接した関係での生活についての記録であり、第4章から第6章までは、筆者がなぜ建築を志し、なぜそれから離れ0円ハウスに至ったかの記録である。

個人的に爽快であるのは、やはり「鈴木さん」の0円でいかにして家を建て、0円でどうやって暮らしているかという第1章から第3章のところで、どうやってというのは、捨てられているものの再利用であったり、生活費はアルミ缶の回収であったりと、まあ想像の及ぶ範囲であるのだが、想像を軽く超えていくのは、そうした暮らしを、彼らは非常に楽しんで、悩むこと少なくやっているのである。いわば過度に所有しないことによる自由さ、例えが正確かどうかわからないが狩猟・採取民族のような自由さが感じられるのである。

当然「狩猟・採取」であるから、不安定さというのは内在していている。アルミ缶の収集は人との競争でもある上に一定していないものであるし、0円で建設したブルーシートハウスも、国土交通省の役人の点検が入ると撤去を余儀なくされる代物だ。
しかし、より多く所有すること、より高い所に行こうと血道をあげている私なんぞの目には、その不安定さの上に理客しているがゆえに彼らのもつ生活の自由さがより際立つのである。

筆者は、この本の最後のほうで

「自分で考え、自分でつくる」
生活、家、仕事、人間関係・・・。鈴木さんの身の回りのあらゆることにこの思考が詰め込まれている。そしてこれが、小学生の時に僕がなりたいと思っていた建築家の姿でもあった。

といった言葉を提示してきている。

誰でも心持次第で「建築家」となれるのかもしれない。

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