2014年7月6日日曜日

蔵前仁一 「あの日、僕は旅に出た」(幻冬社)

本書の「はじめに」によれば、氏の職業は「文章書き、編集者、グラフィック・デザイナー及び出版社社長」であるそうなのだが、アームチェア・トラベラーを自負する私にとっては氏の処女作である「ゴーゴーインド」は読み遅れたが、「旅、ときどき沈没」に始まり、「旅で眠りたい」「世界最低最悪の旅」などなど、アジアを中心とするバックパッカーの貧乏で少しヤバくはあるが蠱惑的な旅の話を読ませてくれる旅行記の語り手という存在。

ただ本書は「旅の記録」というわけではなく、その裏手の話。

構成は

第一章 インドへ
第二章 アジアへ
第三章 再びアジアへ
第四章 「遊星通信」の時代
第五章 「旅行人」の時代
第六章 転機

となっていて、インド旅行から「インド病」にかかり、それをきっかけにデザイン事務所を退職、旅行記作家+出版業、そして再びの旅行記作家へ、という氏の半生記である。

半生記といっても、そこは氏らしく、我が来し方を語るといった風情ではなく、旅行が好きで、旅行で見知った様々な地を人に教えるのが好きで、といったバックパッカーよろしくの悪戦苦闘の話でもある。

思えば、蔵前仁一氏や下川裕治氏などの旅行記と日本人の海外旅行の隆盛とが重なっていて、彼らの旅行記の出版がとびとびになっていくにつれ、日本人の海外旅行も、よく言えば落ち着いてきて、今の内向きな性向が顕著になってきた気がする。

氏の言う

初めからこうしようと思って始めたことはなにもない。・・・
自分がおもしろそうだなと思ったことにただ一歩を踏み出す。うまくいかないときもあればいかないときもある。それだけのことだ。(P350)

という風情で盛んになった日本人の旅行熱も熟成してきたのと、インターネットを初めとした他の「旅」も出現し、多様化し断片化する世界へ到達したということか。

総ずれば、路地裏から見たバックパッカーの旅行記始末といった感じで、あの頃の旅行記のいかがわしいワクワクさは薄れているが、あの頃の熱気を懐かしく思う人には、自らの思い出を呼び起こしながら読むと味がある、「違う意味での旅行記」である。

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