2014年7月6日日曜日

加齢と文章の長さ

この最近、どういう気まぐれか「俳句」というものになにやら興味がわいてきている。
といっても、どこかの結社に入ってどうこうというレベルではまだなく雑誌やら入門書やらをぽちぽつと読んでいkるぐらいなのだが、俳句に興味を持った原因ともいえるのは、文章の長さに対するこらえ性がなくなってきていることではないかと。
 
どうも年をとるにつれ、そうなってきている気がして、仕事の上でも長い文章に我慢がならなくなって短いセンテンスでの表現を求めたりすることが多くなってきているし、どうかすると味も素っ気もなく、事実と分析だけを表記した箇条書きが仕事の文章表現で最適だ、とすら思ってしまうことが多い。
 
で、短い文章をなぜ好むようになったのは体力の衰えあるいは知的持続力が衰えてきているのでは、といったところである。
 
文章が長い、あるいは話が長いというのか特に年齢に関わりなく、その人の特性みたいなものと思うが、こちらが長さにこらえ性がなくなるのは、「長さ」の中に含まれている冗長さ、寄り道の多さに体力的についていけない。文章を読んでいるうちに継続して思考するのに飽きるというかヘトヘトになってくるのである。運動的な能力はトレーニングでカバーできるところもあるのだろうが、思考の持続性を鍛えるのはいったいどうしたらいいものか見当もつかないまま、五七五の名句にほう、といったりして、短いセンテンスに囲まれて暮らそうとしてしまうのである。
 
はてさて、よいことか悪いことか・・

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