うちの鰹のタタキは、母親が高知の人に習ってきたという代物なのだが、ローカルにカスタマイズされているようで、高知の本場や土佐料理店でみかける鰹のタタキとは別物のようだ。
仕立ては単純で、三杯酢に鰹を厚めに切ったものを漬け、キュウリを大量に入れたもの。見かけはこういう風
これから鰹を掘り出して、キュウリを添え、ニンニクの薄切りと一緒に食す。なので、明日が勤務であったり、休日であっても人に会う予定が入っている時は避けたほうが良いので、忙しいときはかなりのご無沙汰になる。
で、こうした毎年の定番の食べ物というのは、一年の無事を祝うという類だけではなく、一年のうちの変化、例えば去年は息子が受験の最中だったな、とか、親父が元気だったな、とか一年の変化を噛みしめることも味わい深くて、江戸っ子が「旬」を大事にしていたのは、そういう年月の変化を「食べ物」に託して噛み締めるあたりにあるのでは、と江戸から遠く離れた鄙人、辺境人ながら思ってるのである。
なんにせよ、「旬」を大事にするということは、「今」を大事にすることにつながるような気がするのである。
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