一般人が「ネットの世界に住むように生きる」世の中

2007年2月26日月曜日

インターネット

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「ウェブ進化論」の著者の梅田望夫さんのコラム「シリコンバレーからの手紙」のバックナンバーが雑誌のフォーサイトのウェブページに掲載されていて、その中の連載115話の「ブログ・ブームは私の勉強法をどう変えたか」にある「ネットの世界に住むように生きる」というフレーズに、心の中のどこかの部分が鳴った。
コラム自体は梅田氏のコンサルティングとその勉強法として、ビジョナリー(シリコンバレーで人には見えない10年先を変える「力の芽」が見える人のことをいうらしい)の肉声に耳を傾け、その断片の意味をを考え、組み合わせてIT産業の未来像を構造化する、といったことやブログやネットワークの進展によってネット世界で過ごす時間が長くなっていったことなどが載っているのだが、その中の「一日に五時間から六時間は最低でもネットの世界に住み、リアル世界からネット世界へと「時間の使い方」の軸足を大きく移して」いき、「以来、リアル世界での異動を私はあまりしなくなった」といったところに妙に心が鳴ったのである。
私自身は、リアル社会では、どうかするとペンと紙での仕事が多いアナログ的なホワイトカラーの世界で生計を立てているので、その意味では、梅田氏のように「ネットの中に住むように生き」ているわけではないのだが、それでも、会社内のネットワークシステムに依存して仕事をしているし、情報収集の方法も図書館や書籍に代表される「紙」よりも「」ネット」でのことが多い状態になっている。
しかし、アナログ的な部分が色濃く残る状態の中での、身近な「ネット社会批判」といったものが根強くあって、いわく「話し合いをしている風景を見なくなった」「パソコン(身近な社会では、どういうわけかPCという言葉は余り使わないのだ)の画面ばかり見ていて冷たい」といった声がある。
今のところ、こうした声は相応に大きな力を持っているのだが、それは、PCが「一種光り輝くもの」として生活の中に登場してきた世代が多数を占めている組織であることも影響していて、おそらくPCが「既にそこにあったもの」である、我が娘や息子の世代が社会の主流になれば、消えていくであろう声のように思う。
もう一つ気になるのは、「リアル世界での異動をしなくなる」ということが、社会とか思考の中にどういう影響を及ぼすかといったあたりだが、正直のところ、生計に追われながら暮らしている中で、「異動する」ということは、通勤を除いて、さほど日常的ではない。電話(携帯を含め)で社用を済ませることは多くなっているし、資料の入手自体もメールといったネット経由で手に入れて、ペーパーに印刷するという、わざわざデジタルをアナログにする作業をしているような具合だ。
ただ一つネットによっていないのは、face to faceでの内部協議やら、相手方との対面折衝なのだが、それすらも、「会社に一同に集まって仕事をする」という非常に20世紀的工業社会のワークスタイルが未だ主流だから、といった理由でしかなくて、これすら事務所管理経費の具合と「雇用のスタイル」の変化によってどうなるものかわからない。おそらく、ネットの大容量化と機器の安価化に沿うように、仕事のスタイルもサテライト化や分散化、ホームオフィス化は進んでいくと思えるのである。
近い将来、勤め人の多くが、朝起きて、顔を洗って食事をしたら、自室のワークステーションを立ち上げて仕事を始める、といった風景が当たり前になるような気さえする。
もし、そうなるとしたら
太るな・・、と思うのである。

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日本の人口最少県の住人。なりわいは行政書士。読書好き、ガジェット好きの昭和人です。

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