2012年4月1日日曜日

4月1日に大学の9月入学のことを考えた

1年半ほど関っていた大学関係の仕事がようやく陽の目を見てきて、昨日でひとまずのお役御免。3月の半ばから、最後の詰めと飲み会や奥さんのインフルエンザなどであたふた、あくせくしていて、ブログの更新も滞っていたのだが、少し落ち着いたこともあって、この際、大学の9月入学についてぼちぼちと考えてみた。
 
もともとこの大学の9月入学の話、かなり以前から議論はされてきたのだが、しばらく前の東京大学の態度表明をきっかけに盛んに議論され始めたのだが、なにやら、最近の風情を見ると、9月入学にしないと、日本の高等教育は滅んでしまう、いやそうではないといった感じで、まあこの分野の中では喧しい議論が出ている。
 
で、どんな議論が出ているかは、たぶん、Googleさんのお世話になれば山ほど出てくると思うので、専門的な議論はそちらに任せて、なんとも無責任な意見なのだが、留学生がどうこう、といった議論で「桜の季節」という、日本人の心に馴染んできている習慣をここらでぶっつりきることもないんじゃないの、と思うのである。

海外からの留学生の受け入れ云々といったところで、いわゆる研究体制のしっかりした大学(難関なんとか、有名なんとか、といいたところだよね)を除けば、その学生の多くは日本人であるし、研究開発ということより、いかにちゃんとした社会人にして、実社会に送り出すかといったことに腐心している大学の先生たちがほとんどだろうから、その点で入学時期が4月だろうが9月だろうが、まあ、どちらでも、といったところが本音のところではないだろうか。むしろ、高校教育や義務教育と切り離されたところで9月入学になっても、4月から9月までの期間をどう過ごさせるかが、教育だけではなく、人生の送り方も含めて議論されないままに、大学人。経済人の議論だけで大勢を決してしまうのは、果たしてどうだろうか。

桜美林大の諸星 裕さんに言わせると、一律に9月入学にしなくても、セメスター制を工夫すれば、4月入学、9月入学の併存も可能らしいし、いいとこ、悪いとこ、ごちゃっとさせながら緩やかに良い方向を探っていくってのが、まあ、日本らしいってことではないだろうか。
 
で、最後に9月入学で思い出すのが、レイ・ブラッドベリの「たんぽぽのお酒」で主人公が親友と別れる場面で、夏の夕暮れが、なんともアメリカらしい別れが印象に残ったもの。やはり、日本らしい「別れ」と「出会い」といえば桜の舞い散る中ってのが一番雰囲気がでるのではなかろうか、と思うのである。
 

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