2014年6月22日日曜日

家庭菜園の功罪

今、家庭菜園に少し凝っていて、トマト、キュウリ、ピーマン、瓜などなど駐車場のそばで栽培しているのだが、日々、収穫があったり、雑草を抜いたり、庭木の剪定をしたりとか、まあかなり作業も多く忙しいのだが、それなりに収穫物があるのが嬉しい。
 

ただ、最近、作業がそれなりに増えたのと、キュウリやトマトの収穫が増えてくるに伴って、ブログとか書き物系に意識が行かなくなってきている。晴耕雨読という言葉はあるのだが、雨の時は雨の時で、次の作業をどうしようかと考えることが多くて、雨であっても「読」とはいかないところ。
 
どうも、それなりに日々作業があって作業の完了もあり、それに伴う収穫もあって、ということで、何が返ってくるかわからない「書き物」という、成果が目に見えないものへ駆り立てるものが少なくなっているということかと思ったところ。
 
いわゆる文明や文化というものは、農産物の収穫が当てになる所で成熟していくのが常なのだろうが、それは収穫の集積を利用できる支配層にいえることで、生産に携わる層は日々のことで充実が得られれば、それ以上のことはあまり思わないということなのかと。
 
とりあえず本日は、穫れたキュウリの浅漬けで一杯呑むことにして、難しいことはひとまず後回しに・・


 

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