2011年2月28日月曜日

宮部みゆき 「日暮らし」(講談社文庫)

「ぼんくら」で鉄瓶長屋がつぶされて湊屋の別宅が建てられ、煮売屋のお道は、近くの幸兵衛長屋に移り、それぞれの新しい話が始まって・・・といったところから始まる「ぼんくら」の後日談。

後日談といっても、話自体は全く別物で、登場人物や、舞台設定が同じ、シリーズ第2作と考えたほうがいい。
 構成は
 「おまんま」
 「嫌いの虫」
 「子盗り鬼」
 「なけなし三昧」
 「日暮らし」
 「鬼は外、福は内」
 で、「ぼんくら」の場合と同様に、「おまんま」から「なけなし三昧」で本編の「日暮らし」に至るエピソードや伏線や目くらましをぽんぽんぽんと振っておいて、
あれよあれよ、といっているうちに、物語世界に引き込んでしまうのは、手練れの技としかいいようがない。

簡単に、前振りの話を紹介すると

 「おまんま」は、政五郎親分のところにやっかいなっている"おでこ"が自分の落ち着きどころというか存在する価値を再発見する話であり、

 「嫌いの虫」は「ぼんくら」で鉄瓶長屋の差配を勤めていた佐吉が幼なじみのお恵と所帯をもってからの夫婦のすきま風とその修復の話であり、

 「子取り鬼」は、佐吉の実母である葵の身の回りをすることになるお六が、葵の助けでストーカーから逃れる話。

そして、

 「なけなし三昧」は、煮売屋のお道の長屋に、上品で値の安いお菜を売るライバルの出現の、そのライバルが安値でお菜を商う本当の訳、

といったもので、こうした短編の積み重ねの後に、本編である「日暮らし」がどんと持ってこられる。

 で、「日暮らし」では、なんと佐吉の実の母である葵が殺される。そして、現場には佐吉が腰を抜かしていた。葵は佐吉に殺されたのか・・・。佐吉の疑いを晴らすため、同心の井筒平四郎と弓之助が大働きし、お道は、煮売屋のライバルで、行方をくらましたおえんの奉公人を助けているうちに、煮売屋の商いを大きくすることになり、といった感じで進んでいく。

 犯人というか、謎解きは、ありゃ、こっちの方へ言ったか、といった感じで拍子抜けする感はあるのだが、うまい伏線のせいか、最後まで、うかうかと読まされてしまうあたり、筆者の腕の冴えは衰えてはいない。

 と、まあ、推理ものとして読むのもいいが、この筆者の物語を読む楽しさには、その語り口を楽しむといったもう一つの楽しみがある。

 例えば「なけなし三昧」でだしのほう

 だから平四郎は、お徳が気負い込んだ様子で彼を呼び、おいおい何だよと店をのぞいてみて、小あがりの座敷にずらりと並べられたお菜を見たときには、すわこそと喜んだのだ。ようようお徳もやる気を出したかと、箸を持つ手も浮き浮きと、皿から小鉢へと飛び移り、あれも旨いこれも旨いと大声で誉めた

といったあたりを読むと、これから、どんな展開があるのかわくわくするし、

 「おまんま」の最後のほう、ふっきれたおでこが、ふさぎこんだ訳を平四郎にうちあける場面の

 あい ー と、おでこは声を出さずに口の動きだけで返事をした。
おっかさんが恋しいわけでも、片恋でもなかった。もっともっと ー むしろ「大人らしい」ことで悩んでいたわけだ。
  おまんまのいただき方は、人それぞれに違う。違うやり方しかできない。自分にできるやり方をするしかないし、それしかやりたくないのが人のわがままだ。それでも平四郎はふと考えた。白秀も、似顔絵扇子を書きながら、自分はここでこんなことをしていて良いのかと、自問したことはなかったのかなと。

といったくだりを読むと、おでこ頑張れと言いながら、ふと我が身を振り返って、うむ、と言わされたりするのである。
なにはともあれ、作者の腕が冴えわたる上出来の物語であります。読んでおいて損はありません。

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