2015年2月7日土曜日

バチカン図書館のデジタル化の理由に感激

 

バチカン図書館の保存している手書き書籍などの文献をデジタル化する取組をNTTデータが初期契約を結んでいるらしい。宣伝っぽくはあるのだが、その意義や裏側を語った、としてプライベートイベントの記事がAscii,jpに掲載されていた(「バチカン図書館のデジタル化は「100年先」も考えている」)。

それによると
 
世界最古の図書館の1つであるバチカン図書館。そこには、2世紀から20世紀に書き残された約8万2000冊、4000万ページにも及ぶ手書き文献も所蔵されている。
「マニュスクリプト(manuscript)」と呼ばれるこうした手書き文献は"一点もの"であり、豪華な装飾が施された美術的価値の高いもの、当時の歴史や法律、哲学、科学、神学などについて記した研究的価値の高いものなど、極めて貴重な歴史的遺産となっている。
 この手書き文献をすべてデジタル画像化し、長期保存と共有/活用の仕組みを作るというのが、バチカン図書館が推進しているデジタル化プロジェクトの輪郭だ。

ということのようだが、なんとも感激したのがその理由で

 
我々が所蔵する手書き文献は、人類共通の歴史的遺産。大切に保管するばかりではなく、人々の間で広く共有されなければならない。それが、文献のデジタル化を決断した理由だ」
 手書き文献には、羊皮紙やパピルスに書かれたものや金銀などで装飾されたものが多く、時間の経過とともに劣化が進む運命にある。貴重な文献の「保存」を第一に考えると、その閲覧や活用にはさまざまな制限を設けざるを得ない。その結果、「500年間で、手書き文献全体(8万2000冊)の20%程度しか読まれていない」という事態に陥っていたと、アメンティ氏は説明する。
 そんな状況を看過していれば、せっかくの歴史的遺産も、文字通り「宝の持ち腐れ」になりかねない。そこで、バチカン図書館は、所蔵文献をデジタル化して「すべての人が自由に、かつ無償で、どこからでも歴史的遺産を読めて、活用できる環境を整えることにした」
 
ということで、「公開」と「共有」とりわけ「読まれる」ことを根底においたデジタル化という発想は、どこかの国や地域の図書館、博物館系の保存資料のデジタル化の際にはあまり聞かないフレーズで、「バチカン」の面目躍如といったところ。
 
当然、共有と利用を大前提にすれば、システムの在り様も変わってくるはずで、利用者の使い勝手ということが、設計の大きな要素となるであろうことは間違いなく、こうした"公"の博物館・図書館系にシステムは図体はでかいが使い勝手がどうも、ということが多いというのが実感。保存は丁寧にされているのだが、読み込みが遅かったり、ページ展開が面倒だったり、どうにも内部や大学などの限られた研究者向けにしか考えていないよな、というシステムが多いし、公開や外部利用なんて考えてませんよ、といったケースも多いような気がする。(国立図書館の電子アーカイブよりもAmazonでKindle用に加工されたもののほうが使いやすい、っていうのは最たるものと思うのだがどうだろうか。)
 
そのあたり、キリスト教の本家本元であるバチカンあたりは、一般の支持がこれからの宗教的な勢力範囲の保持にかかせない、と考えているせいであろうか、妙に寛容な措置であるように思う。このへんが、バチカン・ミステリーや古代キリスト教をテーマにした小説のベストセラーが続々とでてくる由来でもあるのかな、と牽強付会に思うのであった。
 
 

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