2018年3月31日土曜日

丸亀製麺の「親子丼」を食した。

何時だったか失念したが、「マツコの知らない世界」で親子丼特集をやっていた時に、チェーン店のオススメででていた、丸亀製麺の「親子丼」。

たいがい、こういうシリーズでは、「店舗によっては提供していない店があります」というテロップが入って、「店舗によっては」というところは体外「地方店」で、鳥取県の店はそれに該当する場合が多いので、スルーしていたのだが、偶然、前のお客さんが注文していて、こちらでも提供されていることを知った次第。

注文は、「親子丼」と「かけうどん」という、「店屋物」の王道メニューをチョイス。


親子丼の端が白飯が見えているのが気になるが、これもレトルトではなく、店で調理して載せる形式ゆえ許そう。

味は、こういうチェーン店には珍しく。「あっさり」としたもので、くどい甘さがないのが高評価。鶏肉もしっかり入っているところもよいですね。

丸亀製麺の「ご飯メニュー」といえば、白飯をもらって好みの天麩羅を載せて、無料の天丼の汁をかける「自家製天丼」が有名ではあるのだが、この親子丼は新たな定番「ご飯」メニューとして定着してほしい出来でありました。

ついでに、本日は、ようやく自家サイトの整理が終了。明日から本腰入れてブログ書きますね。

2018年3月30日金曜日

Amazon Echoの一般販売開始でスマートスピーカー利用の奔流が起きることを期待

 いままでずっと招待制であったので、申し込んでいてもなかなか招待されなかったAmazon Echoなのであるが、明日から一挙に一般販売開始は、まずは目出度い。



当方も、数月待ちで先日やっとEchoを手に入れて、単身赴任先のEnfy、実家にAmazon Ehoという2台体制を構築したところ。

なのであるが、スマート家電とかが整備できていない状況なので、Alexaにやらせることが、天気予報を聞いたり、スケジュールを聞いたりといったところと、バックグラウンド・ミュージックをかけさせるといったところで、なんとも頼りがない。



もちろん、これは当方のスキル不足のところもあるのだが、日常的に「こう使うとすごく便利」とかの使うアイデアがまだ沸き立っていない、ということもあるように思う。さらには昨年の11月時点(発売開始時点だね)には100〜265のスキルが、今では600以上になっているようにスキル自体も増えていくだろう。そして、使う人が増えていくに従って、Alexaが「賢く」なるという副次的な効果もありそうだ。



スマートフォンにしてもiPhone3GからiPhone4で小進化し、iPhone4S、IPhone5あたりで、爆発的に普及。Androidを含めれば、誰でも持っているデバイスとなり、それに伴って、我々の「暮らし」そのものが大変化したという実例が身近にある。

これから、スマートスピーカーと連動する、様々なデバイスが生まれてくれば、そうした「生活の大変化」が現実のものになるかもしれない、と少し期待をしているのである。



ただ、寂しいことに、日本メーカーはLINEとかのものはあるものの、ほとんどのものが国内未発売。今のところ、Google、Amazonといった海外メーカーに席巻されている状態である。日本の「ものづくり」は「部品づくり」になってしまったのですかね〜。

2018年3月28日水曜日

AIを行政の施策立案に組み入れるべきと思う理由

 AIが仕事を奪うのでは、とか、AIをどこまで使うか、といったネガティブな論調が目立って出てきたように思えるAI論なのであるが、当方として、活用を考えて欲しいのが、地方政府の地域振興、特に移住施策や観光における効果予測である。

 

というのも、この分野、それぞれの自治体の施策が金太郎飴化することが多いし、さらに、首長や担当者の思いに左右されることがとても多いように思うのである。

 

そうした場合、どうしても隣でやっている施策がよく見えたり、おなじレベルのものはなぜできないんだ、と自らの状況とか環境とかをきちんと分析しないで踏み出してみたり、とかなにかと判断が甘くなるような気がしている。

 

この際、効果予測とか、効果のシミュレーションは、担当の甘くなりがちな、バラ色の予測ではなく、機械的な分析を自らの判断をちょっと冷ます意味でやってみる仕組みをいれてみてもいいのではないだろうか。

そして、それをやった上で、修正すべきことは修正してトライしてみるとかをすればいいのであって、最初から、うまくいくかどうかは神任せといったやり方よりは、よほどリスクが下がるような気がするのである。

 

行政が何かと慎重になることが反省される、一転して、思いつき的なものまでトライしろといった風潮になっているように思う。行政は「中庸」が大事、というのは変わっていないようにおもうのであるがどうだろうか。


2018年3月23日金曜日

古い習慣の強固さは、日本だけの専売特許ではないと思うが・・・

 

少し前になるのだが、THE PAGEで「新しいITに否定的な日本、もはやアフリカよりも前時代的?」といった記事があってたのだが、ようやく当方も考えがまとまったのでエントリーしておく。

記事の要旨は

・アフリカで起業した女性が日本に帰国すると驚くことがある。あらゆる席に喫煙席があること、や回覧板の文化があること、紙の本をよむ人が多いこと、そしてモバイルで送金できないことや、現金しか決済できない店が多いこと

・アフリカでは、経済発展にともなって新しいインフラを使いこなす人も増加している

・新しいITインフラやビジネス習慣と人々の思考回路には密接な関係がある。古い制度にしがみついていると、物質的・生活様式でも遅れをとる。新しいことに貪欲になることが日本人に求められている。

といったもの。

ただ、こういう古い政府度が強固に残って、新しい動きに乗り遅れてしまうってのは、別に日本だけでなく、世界中どこでも起きているのではないですかね。例えば、産業革命は当時、大陸より遅れていた「イギリス」から始まったのであるし、生産現場でのAI導入でドイツが先んじられたのも、生産の合理化で周回遅れだったせいで、かえって新しい技術が導入できたから、といった話がある。日本だって、戦争で古い制度や基礎インフラがまっさらになったからこそ、戦後の工業社会化や高度成長があったといえなくもない。記事のアフリカの例も、要は国土を網羅したシステムや、経済の安定といったことがなかったから、白地に絵を描くように、モバイル決済などがどんどん普及した、ということなんだと思うのである。

使いこなされてきた古い制度やシステムが安定していて、楽であるのは間違いなくて、そこに、新しい仕組みやシステムをいれようとした場合、古いものときしみが生じるのは通例のこと。ここらは「新しいことに貪欲になる」といった精神論で解決できる話ではないような気がする。要は、古いシステムにどこで見切りをつけて、将来性のある新しいシステムにどう乗り換えていくか、ということなのであって、新しいシステムの優位性がどのあたりで古いシステムを上回るか、あるいは上回るように誘導できるか、といったことではないでしょうかね。

このあたりになると、強権的な政治のない「日本」はちょっと不利なことは間違いなくて、じわじわと染み入るように新しいものが入ってくるのを待つ以外なく、寂しいですが、一度は周回遅れになってしまうという宿命を背負っているのかもしれないですね。

勝負はいつも勝ち続けることはできないのだから、早めに軽く負けて、体制を建て直して、次の勝負を有利に進める準備をするということが肝なのかもしれないですね。

2018年3月21日水曜日

DocomoのAI戦略は、ちょっと当方の理解の外にありますようで

 

C-netによれば、DococoのAIの戦略は

いろいろなことができる対話型AIデバイスは、「結局、大半の機能がユーザーに使ってもらえない」と同氏。用途を絞るなどして、ユーザーが「このために、このデバイスを使う」という役割を明確にさせることが最も重要であるとし、AIを用いたサービスの差別化には最終的に“人間の力”が鍵を握ると断言した。

という方向であるらしい(https://japan.cnet.com/article/35115869/

個人的にはそこまで“AIを使うぞ”といったハードルを上げられると、ちょっとシンドい。スマホの導入の時もそうであったような気がするのだが、Docomoが新しい技術を導入するとき、ふわっとした感じで導入するんではなく、なにかしら利用者に主体性を求めてくるような気がしますね。

Iモードの時にも感じたのだが、メーカー側で用意するシステムに合わせろ。といった感じがして、どうも違和感がある。もちろんAppleの場合も、自らのシステムの中に囲い込む志向が強いのだが、その遊ばせてくれる、あるいは、動けるフィールドがどうも違っていて、制約感が漂うのである。

どちらかというと、日本のITの雄であるDocomoさんには、太っ腹な感じでユーザーを遊ばせてもらいたいと思うのだが、どうであろうか。

スマホで遅れをとった二の舞はAIでは避けてほしいのでありますが。

2018年3月17日土曜日

春の味わいあり。「ホタルイカの酢味噌和え」を食す

ホタルイカと言えば「富山湾」というのが定番ではあるのだろうが、実は、西日本の日本海側ではかなり獲れる。ただ、富山湾のように湾内で密集して光ったりといった環境はないのが、いまいち売り切れないところ。

このホタルイカ、食すとなると結構難しいもので、店では「石焼き」とかがあるのだが、見掛け倒しの感が強い。
で、本日は葱とあわせた酢味噌和えにする。平凡ではあるが、酒のあてにはもってこい。

本日は、庭で「蕗の薹」も収穫。春本番も近いですな。

2018年3月16日金曜日

鳥取県米子市 ”かつ庵” の「ロース+ヒレカツ定食」

本日は、実家に帰る前に晩御飯。奥さんが残業で遅くなるため、米子で食してから帰宅する。
目指したのは、最近開店したばかりの「かつ庵」。全国チェーン店ではあるが、鳥取県西部には初店舗ではなかろうか。

注文はこんなタブレットに料理番号を入力して行う。店員さんが冷茶をもってきてくれるので、そこで注文してもよいのだが、あえて使ってみる。

さて、注文したのはロース+ヒレカツ定食。ロースカツがメインで、ヒレカツは2切れついてくる。本日のご飯は普通盛り。大盛りは100円+。
店で食すとんかつは、熱々が食せるのと、辛子が潤沢に使えるのが良いんだよね。残念ながら、ここの辛子は小分けのパックなのだが、辛さは十分ある。味噌汁はワカメと油揚げ。小鉢は茶碗蒸しである。

家族連れも多い、ファミリーな店でありますな。しかも、開店してそんなに時間が経っていないせいか、特有のピカピカ感がある。全国チェーン店は、開店して時間が経つと、その時間経過が、何か草臥れた感じが漂ってくる所が多いのが残念なのだが、今のところそんな気配はないですな。

2018年3月11日日曜日

鳥取県北栄町 ”京都ラーメン” 「野菜ラーメン カレー」

単身赴任先から実家へ変える途中で昼食。
高速道路を折りたあたりにあるラーメン店で、車が入りやすいし、近くに飲食店もないので、ちょくちょく寄る店である。

注文したのは、野菜ラーメンのカレー味。あわせて「魔法の激辛粉」も頼む(丼横の銀色の容器)。この粉をいれると、とても辛味が増すんである。唐辛子系の辛さではないのだが、胡椒系とも違うような気がする。なんとも正体は不明だが、辛くなること請け合いの調味料。無料である。

ここの野菜ラーメンは、量も多くて大変気に入っている。激辛粉のせいもあって、かなりの大汗をかいて完食。本日は晴れているが、まだ肌寒いので、体の中から温まるのは嬉しい。



2018年3月8日木曜日

AIは密かにあなたのそばに忍び寄っている。・・・のかもしれない

 

MIT Technology Reviewで「AIを使いたい?→実はすでに85%の人が利用中、米調査結果」という記事によると、アメリカの85%の人がナビアプリやストリーミング・サービスの形ですでにAIを利用しているらしい。

たしかにAIは、あちこちのWebやスマホのアプリやサービスやIoTで、しっかり活用されている状況なので、当方を含め多くの人が「将来は、AIに仕事を奪われるかもしれんね〜」と気楽な感想を漏らしているうちに、近くでしっかりAIにサポートされているといった状況がすでにおきていると推測。

ただ、この状況に当方たちが気づいているのかというとそうではなくて、「このサービスは、とても便利だ」とか「最近はパソコンやネットでやってくれることが増えたよね〜」てな感じで、後ろでAIが動いていることなんてまったく意識していないのが大方であろう。

で、こんな風であれば、AIに食が奪われるっていうのは、生活や仕事の様々な場面が、知らない内にAiが入り込んできて、特にバックヤードのあちこちの人間がやっているところが置き換わっていって、気がついたら、それが表に一挙に出てきて、人間のやる仕事が変わってました、っていう奪われ方なのではないでしょうか。

ひょっとすると「アハ体験」のように変わっていることにも気づかないのかもしれませんね。

2018年3月7日水曜日

耳からの情報収取がちょっと魅力的だ

 情報整理マガジンで「耳で情報収集!読書代わりにAudible」や「耳で情報収集!新聞代わりにラジオクラウド」という記事がエントリーされていて、ちょっと気になっているところ。


というのも、当方の通勤環境は、徒歩15分という近距離なのであるが、単身赴任であるゆえの1週間か2週間に1回、実家とアパートとの片道2時間のドライブがある。で、なんともこの時間が無駄に思えて、インプットの時間に使えないかな、と思っている次第。


今のところは、CDの朗読本や英語教材をMP3化して、MP3プレイヤーで聞いていて、歩行中は少々気の散るところもあるのだが、同じデータを繰り返し聞くことができ、結構、頭に「音声」として記憶されている。繰り返しの時間が多いせいか、目で本を読み飛ばしている時よりも頭に残っているような気がするぐらいだ。ただ、その元データの入手は、まあちょっとしたリッピングに頼っているので、少々後ろめたいのも確かであるし、最新のものはなかなか高価でもある。


さらには、通勤途上や実家との行き来以外にも、目からのインプットが難しい場面とかは、例えば、動員で駆り出された講演会などなど、勤め人にはよくあるもので、つまらない講演を義務的に聴かないといけない時などは、不謹慎ながら、耳からの情報収集はベストマッチのように思えてもくるんである。


記事にある3ヶ月無料お試し期間は1月に短縮されているようでありますが、新年度・新学期お近いことであるし、ちょっと試してみようかな、と思っている次第であります。


立花岳史さんが、ブログ「No Second Life」の中で、初心者ブロガーに熱いエールを送っている。

 立花岳史さんが、ブログ「No Second Life」の中で、初心者ブロガーに熱いエールを送っている。

当方的に勝手に引用・要約すると、「「ブログで人生が劇的に変わる」と信じた僕の10年後」では多額の借金と離婚という中で、「人生を変える」という根拠の薄い意思で「一日3回」ブログを更新した話であるとか、「ブログ初心者が「ブログで人生を劇的に変える」ために最初にするべきこと」では、「初心者はとにかくひたすら愚直に記事を量産する必要がある」として、質やボリュームをごちゃごちゃいわずに「とにかく書いて、公開しろ」ということであるよう。そして、最近の「ブログを書くとなぜ「人生が劇的に変わる」のか」では、自分のなりたい姿をブログに書くことにより自分が変化し、それにつれ自分の周囲の見る目が変わってくることによる「劇的変化」について語られている。

ブロガーという点でいうと、「とにかく更新」というところは、当方のようなブログ年数は長くとも、更新はぽちぽちといった怠け者ブロガーにとっては耳に痛いのだが、こうした「愚直な更新」の結果が、氏の今に確実につながっていることを教えてくれる、熱い文章である。

で、思ったのは、ブログにかぎらず、「初心」というのは熱しやすく冷めやすいものであるし、冷めた時の言い訳は、とかく仕事のプレゼン以上にうまい説明ができるもの。「初心」を忘れずに「玄人」「プロ」レベルまでレベルアップするには、まず「質より量」「ホームランよりバントヒット」という気持ちで、「継続」することがなによりも大事なのだな、と改めて肝に命じる。

「愚直に」という言葉は最近ほとんど見なくなった言葉であるのだが、基本の基本としてしっかり心に刻んでおかないといけないんだな、と改めて思った次第であります。

2018年3月5日月曜日

「バレット・ジャーナル」という手帳・ノートの使い方が面白い

 最近、ノートの使い方やタスク管理、ライフログのとり方がマンネリ化してきていて、なにか新しいものがないかな、と思っていたら、”ごりゅご.com”さんの「手書きバレットジャーナル手帳をデジタル化して検索と振り返りをしやすくする」というエントリーをみつけ、「バレットジャーナル」なるものに興味が湧いた。

もともとは2017年10月に発行された「箇条書きでうまくいく はじめてのバレット・ジャーナル」から取り入れたものらしい。すでに数ケ月前に手帳好き、ノート好きには興味津々のものとなっているらしく、当方の情報収集遅れを反省した次第。

で、この本を早速Kindleで買って読んでみると2013年頃にLifehackerの記事が初出であるらしく、ふたたび感度の低さを反省。

というものの気を取り直して、その特徴をレビューすると、

・1冊のノートで、スケジュール、プロジェクト、To Do、備忘録、すべてを「箇条書き」と「キー」で管理する

・使うものは普通の「ノート」でよい。

ということを基本コンセプトに

①インデックス(目次)

②フューチャーログ(半年分の予定)

③マンスリーログ(月刊予定)

④デイリーログ(一日の予定、タスク)

という基本構成(モジュール)に、自分の興味や環境に合わせて「特集ページ(コレクション)」を思いついた時に新しいページに追加していく、といったかなりラフな方法。しかも、書く時は色分けとか丁寧にとか、あれこれ余計なことは考えず、「素早く書く(ラビッドロギング)」が書く時というもの。

今も、仕事やパーソナルな記録は「ダイスキンB6」、ToDoは「Toodledo」、ライフログは「瞬間日記」をつかって、ダイスキンのデータはまとめてPDFに、瞬間日記のデータはEvernoteに、てな形でやっているのだが、どうにも、一日の記録があちこちに散財して俯瞰できないのですね。”ごりゅご.com”さんによると、結構このあたりのストレスがなくなるそう。

ダイスキンB6を使ってしばらく試してみますね。

ちなみに、バレット・ジャーナルの日本版公式サイトはこちら 

2018年3月4日日曜日

時代小説の意外な中央集権構造にみる「東京一極集中」意識の困難さ

 最近、時代小説を重点に読んでいるのだが、そこで思ったのが、意外な「中央集権」。


なによりも舞台が江戸で、主人公は幕府の役人か町人といったところが、時代小説の大勢を占めているような気がする。


もちろん、時代考証をする上での資料の多さとか、あるいは全国の読者向けとして多くの人に共通の舞台が提供できるのが「江戸」であることは否定しないのだが、実は、多くの人の意識の根底に「江戸」への憧れがあるのではないだろうか。


で、それは大概の国であるような、「人口集中している都市」への憧れ以上に、租庸調あるいは参勤交代を通じて、庶民レベルまで浸透した「江戸」を中心とする意識が江戸期を通じて培われ、日本人のDNAになっているような気がする。


となると、世上言われる「東京一極集中の是正」といった話は、単純な国機関の移転や、民間企業の本社機能の移転の優遇といったレベルでは、解決しない課題であるといわざるをえない。極端なことを言えば、総ノマド化ぐらいの気持ちで、かなりの人が「移動」を前提とした暮らしをする。といったぐらいの意識変革が必要なのかもしれんですね。


ただ、それが現実的にできうるかとなる心もとなくて、今の「田舎志向」も一部の人の嗜好にとどまっていることからみると「東京一極集中是正」ってのは、とてつもなく困難な課題なような気がしてきましたな。