IoTの時代に「人間の判断」はどうなっていくのか

2018年1月4日木曜日

テクノロジー

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本日(2018.01.04)の日経新聞では

「1989年からの視線」に「書店にはいかないー流行より「私だけ」追究」でブロックチェーン事業のCIOの方が、書店に行かずSNSやFeedlyなどで情報を収集し本を買うことを取り上げ、「「インターネット」の進展も加わり、流行を追うのではなく、自分にあったものを自分のやり方で捜す傾向が強まった。」として、ロバート・キャンベルさんの言葉を引用して「違和感を持つものに触れ、異なる考えの人を理解する力をつけてほしい」と論評してあった。

また、

「ポスト平成の未来学」ではポストススマホとして、「ヒアラブル」に着目しつつも、「ポストスマホ時代に問われるのは一人ひとりの主体性だ。AIの守備範囲が広がるほど僕らは自ら考え、挑戦することを怠るのではないか」

と論評してあって、ここだけ読むと、日経の記者さんたちは、どうもAIの系統にはあまり良い印象を持っていない様子。

まあ、イーロン・マスクやビル・ゲイツなど、ITや先端技術に深く関係する人も懸念の意を示しているんだけど、ちょっとネガティブが過ぎるかな、という感じがする。というのも、私達が本にしろ何にしろ何かを選択するときに、自らの知識と考えだけで選択することはないわけで、それが知人と友人とか今まで読んだ本とかの世界から、不特定多数の意見を採取する機会と人間以外の機械知のようなものからのアドバイスをとることができるようになったのは間違いない。

その時に、どこにアドバイスをうける力点を置くかは、当然のようにかなり選択肢の幅が広がったことには間違いなくて、判断の正しさの当たりハズレは問うべきではあるが、アドバイスをとる相手方が生身の人間かどうかはんさほど問うべきではないので、と思う次第である。

IoTの対象は2030年にはIT関連機器全体の80%になる、とも言われていて、我々を取り巻くものがインターネットを介して、マシンや不特定多数の人々につながっていく時代は、そこに来ていると思うのだが、その時に、私達が物事判断する方法が、以前と同じ形で成立するはずもないように思えるのである。

むしろ、あふれるほどの情報が、五感全てを取り巻く中で、「人間」とはどうするのかを考えていくべきで、そこから逃げてもいかんと思うんであるが、如何か。

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日本の人口最少県の住人。なりわいは行政書士。読書好き、ガジェット好きの昭和人です。

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