2010年9月18日土曜日

佐々木俊尚 「ブログ論壇の誕生」(中公新書)

本書は、こんなセンセーショナルな言葉から始まっている。

 いまや論壇は、雪崩を打つような激しい勢いで、インターネットの世界へと移行しはじめている。

 研究者たちが深めている分析は社会に対して何らかの影響力ももてなくなり、一方で影響力の強いマスメディアからは論考が失われるといういびつな状況に陥った


雨後の筍のように、猛増殖し、今や「世間の声」というものの一つを占めているといっていい「ブログ」について、その社会性、影響力、内包する危険性などについて、多方面から論考したのが本書だ。

構成は

はじめにーブログ論壇とは何か

Ⅰ ブログ論壇はマスコミを揺さぶる
 第1章 毎日新聞低俗記事事件
 第2章 あらたにす
 第3章 ウィキペディア

Ⅱ ブログ論壇は政治を動かす
 第4章 チベット問題で激突するウヨとサヨ
 第5章 「小沢の走狗」となったニコニコ動画
 第6章 志位和夫の国会質問
 第7章 安倍の窮地に活躍した広告ロボット

Ⅲ ブログ論壇は格差社会に苦悩する
 第8章 辛抱を説く団塊への猛反発
 第9章 トリアージ
 第10章 承認という問題
 第11章 ケータイが生み出す新たなネット論壇世界

Ⅳ ブログ論壇はどこへ向かうのか
 第12章 「JJ」モデルブログ
 第13章 光市「1.5人」発言ーブログの言論責任は誰にあるのか
 第14章 青少年ネット規制法
 第15章 「ブログ限界論」を超えて

となっていて、おおまかにいえば、

ブログに代表されるネットとマスコミというリアルとの対立の話から始まって、

ブログのマイクロコンテンツ化がもたらす民主主義の党派制の解体や動画サイトが政党の支持率に及ぼす影響

ロストジェネレーション世代と団塊世代の意識上の対立と、「承認行為」からこぼれおちた若者たちと対照的に地元に残り、それなりに幸福を感じている若者たち

ケータイの規制と「つまらなくなった」と批判されるブログそのもの

といった感じで、いわゆる「ブログ」に代表されるインターネットによる表現行為とその周りの(それを作る人も読む人も)人々の姿が、描き出されていく。

その中では

2007年参院選の頃に現れた自民党擁護のネットの記事が、自民党が仕組んだことでもなんでもなくて、単にアフィリエイトのNewsの自動収集システムが動いていたせいかもしれない

とか

志位委員長の質問がロストジェネレーション世代に心をつかんだ二つ目の理由としては、その追及スタイルがきわめてブログ論壇的だったということがあるだろう

とか

ブログ論壇の世界では
①議論の土台となるニュースソース(情報源)をきちんと提示し、②そのソースに基づいてロジックを破綻なく積み上げていくーという議論のあり方が強く求められる。情念に頼るような意見は嫌われるのだ。

といった

「決してコントロールされない、エンドにぶら下がる人々はお互いにフラット」というインターネット特有の世界の中のエピソードも語られていく。


ただ、なんとなく、まとまりがないというか、まとめようとしていないと思うのは、私の勝手な感想だろうか。
例えば、同じ筆者の「Google」や「フラット革命」にみられるような方向性というようなものが希薄なような気がするのだが、ひょっとすると、それは、インターネットというものがあまねく浸透していった末に、ある種の飽和感と拡散を示しているせいなのかもしれない。すなわち、インターネットあるいはインターネットを通じた表現行為というものが日常化、コモディティ化してしまっている我々の世界の反映であるのかもしれないのである。

まあ、乱雑で、猥雑で、無方向であっても、やはり、ネットによる表現行為は、今まで以上に主流になっていくことは間違いないであろうし、そうしたネットの世界の混乱と秩序化の難しさというものを感じるには、本書は、結構いいかもしれない、ということで、今回のレビューは、まとまりもつかず終了としよう。

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