2015年10月25日日曜日

書店が街から無くなると本当に「知的環境」が破壊されるのか?

 一月程前のYomiuriオンラインで「増える「書店ゼロ」自治体」と題した記事が載っていた。

内容は日本書籍出版協会の調べで、「本屋ゼロ」自治体が全国で332となり、協会では「私たちは大いに危惧しています。子どもたちが全国どこでも等しく本に触れられる環境が破壊されることを」と緊急アピールを出したといったことや書店関係者の「本は薄利多売が前提なのに、それが崩れた。書店の取り分を増やさないと、廃業が続く」といった声やが寄せられていた。

さらに10月20日には、「新聞・出版文化を守り、民主社会の未来を語る会」シンポジウムで、日本新聞協会から「新聞や書籍、雑誌に軽減税率を適用する」ようアピールが出された。といった記事も出ている。

新聞の軽減税率については、堀江貴文氏の痛烈な批判もあるのだが、それはさておき、今回は「書店が街から無くなったら本当に「知的環境」が破壊されるのか、について考えてみた。ちなみに、全国の市区町村数を調べてみると1742(H26.1.1現在)であるので、書店がない市区町村数は全体の17.4%に当たる。2割弱である。裏を返すと8割の市区町村には「本屋」があるということで、これへけして少ない数ではない。

しかも、本、雑誌を手に入れる場所が本屋だけかというとそういうわけではなく、この調査の「本屋」の定義は定かではないものの、スーパー、コンビニでかなりの雑誌類は手に入るし、ネットが繋がらない市区町村はほとんどないのだから、入手できるかどうかという視点だけで考えれば、Amazonなどのネット書店で本は手に入る。

では、本屋がないと何が困るのかというと、パラパラと立ち読みしたり、本との偶然の出会いといったものがなくなるということなのだろう。

ただ、考えてみてほしい。そうした本との偶然の出会いというのは、かなりの書籍数がないとおこりえないもので、当方が幼いころに合った「街の本屋」のほとんどは学習参考書と雑誌、売れ筋の文庫本といったものラインナップであった。そのあたり、以前から「等しく本にふれる」環境はなかった、のではないだろうか。

むしろ、本屋が無くなる中で、「本」関連の業界の方に期待したいのは、過疎地に住むこどもたちがより多くの「本」の中身の情報にふれる環境を多くつくていただくことで、けして、「本を売る媒体としての本屋」の擁護ではないと思う。「本屋」が少なくなっているのは、人口が少なくなっている影響も否定しないし、情報を得る手段が変わってきたということも否定しないが、「本屋」の存続は、「本屋」になりたいと思う「本好き」の人々の育成であるように思うのだが、いかがであろうか。

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