2014年12月7日日曜日

小川和也「デジタルは人間を奪うのか」(講談社学術新書)

ロボットに仕事が奪われる職業についての記事に触発されて、本書を読み始めた。

まずは、デジタルあるいはロボット技術の陽の面から始まる。ボストンの爆弾テロで左足を失った社交ダンスのダンサー ハスレット・デービスさんがバイオニック義肢で再び踊りの世界に復帰したという良いニュースから始まる。

ではあるが、デジタル絶賛の書ではない。むしろ、筆者がこうしたデジタルを中心としたコンピュータ、ロボット技術に詳しいがゆえの、デジタル社会の大きな潮流を少しばかり堰き止めよう、流れを阻害しようとする書であるといっていい

構成は
序章 デジタルの船からは、もはや降りられない
第1章 デジタル社会の光と影
第2章 モノのネット化で変わる生活
第3章 ロボットに仕事を奪われる日
第4章 仮想と現実の境界線が溶ける
第5章 脳と肉体にデジタルが融合する日
第6章 「考える葦」であり続ける
終章 デジタルは人間を奪うのか
となっているが、

例えば

子どもたちがソーシャルメディアを使うようになったことで、友達の反応を求める習慣がつき、その結果、子どもたちが「評判を求める行動」へと系統している

ことや

モノがネット化されることで、自宅の家電や自動車、自分が身につけるウェアラブルコンピュータがハッキングされる危険性を考えてネット化を考えるべき

あるいは

パソコンやスマホ、インターネットを。「外部脳」として頼ることによる前頭葉の退化

などなど、第1章から第5章までは、最新にコンピュータ技術、デジタル化の技術とその影の部分が中心。


そして最終章で

さらにデジタルは、人間の脳、肉体に接近、融合しようと邁進している。もし記憶の複製や永遠に止まらない心臓までをも実現してしまったとすれば、人間の死生観は根底から揺らぐことになる。・・・国家も経済も、仮想と現実の世界の境界線が溶けきってしまえば、仮想はもはや現実となり、現実は大きく塗り替えられることになる。

とし

僕は、デジタルが人間を奪うかもしれないという気色の絵あるさ、不気味さこそが、デジタルがもつ可能性の証だと考えている。そして、人間がデジタルと共存し、そこに豊かな未来がひらけることを信じている。

とあるのだが、どことなく否定的な論調を感じるのはしょうがないか・・。
ただ、なんとなくの予感ではあるのだが、本書で提示される、止まらない心臓、人間の足より性能の良い義肢、人工筋肉など、人間のフィジカルな部分の能力を凌駕する技術の開発が止まらないように、コンピュータ、ロボットなど、我々のメンタルあるいは暮らしに関わる分野に、デジタルがますます侵食し、覆っていくであろうと思わざるをえないのだが、いかがか?

2014年11月16日日曜日

佐々木俊尚「自分でつくるセーフティネット」

人と人との紐帯が弱くなっている現代における、新しい人間関係論。

大きな章立ては

1 セーフティネットは自分でつくる時代 ~ 一生安泰はもう終わり
2 総透明化社会の時代 ~自分を丸見えにすることで得られるもの
3 ゆるいつながりの時代 ~強すぎる「きずな」は「同調圧力」を生み出す
4 見知らぬ人を信頼する時代 ~だからフェイスブックがある
5 「善い人」が生き残る時代 ~嘘がつけないネットでは、善い人も悪い人も丸見え
6 生き方そのものが戦略になる時代 ~善悪は宗教や道徳を超える

となっていて、筆者とほぼ同じ時代背景で働き、そして「強いつながり」に時に息が苦しくなったり、それの中にあることに安心したりしてきて、いまだに組織の「中」にいる身としては、同感したり、首を傾げたり、の双方あるところ

例えば

「見てくれる人は見てる」っていう台詞は、終身雇用の家族的な会社では殺し文句

論路的には正しくて反論できなくても、心の中の感情はそれに反応してしまう。そういう時に、上司とか先輩が情けをかけてくれることで、「理には負けたけれども、情けで救ってもらった」と安心することができた。そういう「理」と「情」の二重底で、社会はうまく動いていたと思うんですよ。
日本には「情の世界」がとても乏しくなっています。会社の終身雇用がだんだん崩壊してきて、若い人が非正規雇用に追いやられて「情」を維持することができなくなっています(P6)

というあたりには、ぽんと膝を打ちたくなるし

昭和の時代は「会社」という枠組みがとても堅かった。会社だけでなく、商店街なら商店街振興組合とか自営業の人の世界にも堅い団結のようなものがあった(メーカーの系列とか)
会社とか組合は「箱」のようなもの
みんながきちんとそこに収まって、外の世界と隔てられて安心できる収納箱のようなもの。会社のほうも安心できる仕組みをたくさんつくって「ほら、うちの箱はこんなに丈夫ですよ」みたいなことを競っていた(P27)

というところでは、バブル時代のやけに躁状態であった社会を思い出す。

2014年11月15日土曜日

キリン ほろ苦チューハイ が結構イケる

もう中高年のオッサンであるので、夕刻を過ぎた出張の帰りは缶ビールなどなどが通例となっているのだが、最近、缶チューハイはなんともあの甘さが苦手で敬遠することが多かったところ。
今回、大阪出張の帰りにCMで見かける、ほろにがチューハイを試しに買ったのだが、これが結構イケる。


甘さはあることはあるのだが、抑えめで、ほろにがとはいっても、街の居酒屋で運が悪いと出くわす妙に苦いチューハイのようなこともない。
缶ビールばかりだと、いくら出張帰りの短い時間とはいえあきてしまうし、さりとて「かのか水割り」や「白角水割り」をぐいぐいというのも乱暴なので、こういうバリエーションが増えるのは酒飲みには喜ばしい限りである。
以上、チーズ入りピリ辛ちくわを当て物にしつつの、帰りの特急の車内からのエントリーであった。

2014年11月14日金曜日

NTTドコモの外付けフェリカカードにエールを送るも、対応サービスが不満な件

NTTドコモがiPhoneの外付けフェリカカード「おサイフケータイ ジャケット01」を発売してから10日ほど経つ。

サービス発表の頃(2014.10.22)や発売(2014.10.30)の頃は、ネットのニュースをはじめいろんなところで話題になっていたのだが、さて今はどうだろうか。
個人的な印象を言うと、今まで「おサイフ」機能の蚊帳の外と思われていたiPhoneユーザーへの福音ともいえなくもないのだが、いかんせん対応するサービスが少ない。
現在、対応しているのがANAスキップサービスとヨドバシカメラ、でiDが2014.12、QUICPayは2014年度内対応ということなのだが、電子マネー大手のEdyやPontaは時期未定であるし、SuicaやT-Pointは告知すらないというのは寂しい限りである。
しかも値段が5400円というのはちょっと高い感じがする。

でiPhoneユーザーが「おサイフ・ケータイ」機能から完全に取り残されているかというとそうでもなくて、実は、ケースを使った「(なんちゃって)おサイフ・ケータイ」という抜け道がある。

もっとも2枚刺しOKとか3枚刺しOKとかの謳い文句はあるが、2枚以上になると干渉が激しくて、自分の経験では実用になるのは1枚刺しくらい。
なので完全な「おサイフ・ケータイ」とはいかないが、EdyやSuicaを差し込んでおいて通勤やちょっとした買い物利用には十分使える。

新しもの好きとしてはドコモのフェリカカードという選択も捨てがたいのだが、サービスが少ない今のところ、「(なんちゃって)おサイフ・ケータイ」という現状に満足しているのである。

農業の人材難に思う「ロボットで置き換え可能なもの」

最近
  「オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」702業種を徹底調査してわかった」
「グーグルCEO あなたが、望もうが望むまいが現在の仕事のほとんどが機械で代行される」
「ロボット化で35%が失業する?「20年後」にどう備えるか」 
といった記事を読んで、AIのこととかヒューマノイドやロボットのこととか、あれこれと本を探してポチポチと読み始めている。

 そんな折、確か2014.11.11のNHKの朝のニュースで「茨城県 農業の担い手確保でベトナムと協力」と題して農業の人材難のことをとりあげていた。

 番組では 外国人技能実習生で中国から研修生を受け入れていたのだが、中国の経済発展で実習生の定着が難しくなった。 そこでベトナムに目をつけたのだが、安い労働力は多くの国で人材不足となっていて、人材争奪戦が始まっている ということが、茨城県の農家を例にレポートされていた。

 農業の人材不足、後継者不足というのは、以前から、あちこちで対策が必要と言われているのだが、地方の活性化と並んで、功を奏していないものの代表格であるだろう。 であるなら、ここで「人」の確保はあきらめて機械化にとどまらず、ロボット化を本気でやってみてはどうかな。

上記の記事の中でも主な「消える職業」「なくなる仕事」として「殺虫剤の散布の技術者」「造園・用地管理の作業員」もあげられていることでもあり、いわゆる「手作業の良さ」「セラピー」としての「農業」を残すにしても、「食料生産」としての「農業」はロボット化を考える時期なのかも。

 もちろん機械化とかはかなり進んでいることは承知の上で、「人」が得にくいならば「人」を使わない農業というやつを模索する時期なのかも、と思ったのである。

2014年11月12日水曜日

MicrosoftがiOSにOfficeの無料版の提供

今までは、Office365の登録・加入が必要だったiOS版のOfficeの無料版がリリースされたというので、早速iPhoneとiPad2にインストールした。

どちらがどうこう、ということもないのだが、iPhoneの場合はもともと画面が小さい(筆者の環境はiPhone5)ので、閲覧はするかもしれないが、編集や作成はしないよな、という印象
 
かたやiPadの場合は、画面がネットブック程度は確保できるので、携帯キーボードなどと併用するなら使って見る価値はありそうだ。

ただ、利用が拡大するかというとそうとも感じられなくて、ネックとなるのは、私の場合、原稿書きを始め、多くのものはEvernoteで作成して、クリップ・ペーストしたり、メールで送ったりと、Officeのようなソフトを使わなくなってきていること。さらにはレガシー職場のペーパーレスも徐々には進んでいて、説明資料、メモなどは紙の操作メリットを享受しつつも、大部なものはPDFなどの電子ファイルをタブレットなどで見るというワークスタイルの変化がおきているということである。

このあたりはlifehacking.jpさんの「Office for iPad,iPhone,Androidが無料に!でも時代はそれを置き去りにしつつあるという話」でも指摘されているように、こうした「書類」の作成を前提としたワークスタイルは以前強固に残ってはいるのは間違いないのだが、確実に減少してきているという事実は間違いない。

当然、PCやタブレット、スマホが持ち込めなかったり、会議などの場で使うことがあまり歓迎されない職場もあるし、また紙の一覧性の秀逸さということもあるから、全く、ワードなどのOfficeソフトによる資料作成の場がなくなるとは思わないのだが、増えていくことはないよな、と思う次第。その意味でlifehacking.jpさんがEvernoteの方にチップを置きますよ、というのは正解の確率が高い意見と思う次第。

フリーになるということは喜ばしことで、Microsftの意気込みを歓迎してはいるのだが、なんとなくOfficeソフトと、一世を風靡した和製ソフトの「一太郎」「花子」とが重なってきてしまうのであるのだが・・。
 

2014年11月11日火曜日

Scansnap ix500購入

今までScansnap fi-5110EOXという10年ちょっと前に発売されたものを、ローラーやユニットの交換をしてだましだまし使っていた。
さすがに使用年数には勝てないのか部品を交換しても、紙の吸い込み不良や多重送りが多発する状況となり、ix500をAmazonから購入した。

この機種も発売から数年経つので、そろそろ新機種発売かなとは思うのだが、仕事関係も含めて「紙」は極力少なくする生活が染み付いてきたので、シートフィードスキャナー無しでは、ちょっと生活上のストレスが溜まってしまう。

遅ればせながらの使用感想ではあるのだが、やはり、デフォルトでMACに対応しているのと、iPadやiPhoneとの連携ができるところが秀逸である。無線機能は、実はBuffaloなどのデバイスサーバーを使えば旧機種でも対応可能であるのが実証済みなので、さほどの感動をうけないが、やはりタブレットやスマホなどの多機種対応は、我が家にやってくるハガキを含めた紙書類を、とにかくスキャンしておいてあとでデジタルで確認・処理するやり方にマッチしていると思う次第。

このあたりはダイレクトメールも含めて電子情報への遷移がすすめば不要なのだろうが、店のチラシから電気料金やガスの案内などなど紙で提供されるものは、当分なくなってかないだろうから、紙書類の散乱による部屋の環境悪化と生活情報の紛失から身を守る上で、必須といえなくもない。

ただ一つの誤算は、調子が悪くなったとはいえ、必要最低限は使えていた旧機種のfi-5110の調子が突然ガタガタになって、あちこちイジったりしているうちに反応しなくなってしまったことである。自家用車とかも新しいクルマの購入を決めた途端、拗ねて調子が悪くなることはよくあることなのだが、こうした事務家電でも起こることなんでありますな。